書道の手本としての拓本

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白館長 松本宏揮
 平成13年度の大学祭に教育資料館では「書道拓本展」を開催した。本学の書道研究室には歴代の先生たちによって 珍しい書道の手本類が収集されている。その中から、大きくて、通常の授業の時にはなかんか開陳するのが困難な全搨本拓本を主に展示し、他に 法帖としては有名だがあまり見られることのない『三希堂帖』を展示した。

I.拓本について
 黒地の紙面に、文字が白抜きで見られるもの.書道の手本として、教科書などで見た人は多いはずだが、実物を見る機会は以外に 少ないようだ。「拓本」の拓は「たたく・おす」の意味で、石碑に刻まれた文字を、石の上に紙を当てて墨で写し取ったものである。方法は、タンポという、 綿を絹布などでくるんだ道具に墨汁を微妙に含ませて、慎重に紙面を何度もたたいて文字を写し取るのである。墨のかわりに朱が使われることもある。
 もちろん、文字資料の記録保存という意味のほかに、その筆跡が書法学習の手本として高く評価されてきたのである。

U.拓本と法帖
 中国では、人の偉業をたたえて後世にまで伝えるために、古くから青銅器や自然の岩石や石碑に文章を刻す習慣がある。その筆跡もまたすばらしいものが多い。
奏の始皇帝の即位を天帝に報告したものを記念して刻された「奏山刻石」や、後漢の末期につくられた、儒教の経典の正しい本文を刻した「石経」などが古くから 知られている。
 石碑の文章本文を手に入れるために拓本は取られたが、筆跡の美しいものは習字の手本としても尊重されたのである。
 巨大な石碑に刻まれた文字は、その時代の公式の書体(正書体)で書かれていて、全体で視覚的に美しく構成されている。石碑の文字面の全体を一枚の紙片に写し取って 掛け軸に表装したものを「全搨本」と呼ぶ。
 お習字の手本とするには、机の上に乗せられるようにしなければならない。そこで拓片を切って天地30センチメートルほどの高さに文字を並び換えて一ページ数行の 折り帖に仕立てるのである。これを「剪装本」という。このような剪装本を書法の手本という意味で「法帖」とも呼ぶ。

V.単帖と集帖
 その後、王義之・王献之や智永などの書法の名人がたくさん出てくると、習字の手本として、彼らの筆跡の需要が増える。基本的には、自分で敷き写し(摸書)のだが、 同じ手本とを大量につくるためには、手本の文字を石に刻って拓本に取るという方法が効果的である。拓本印刷術の一つでもあった。
 北宋の時代になって、『淳化閣帖』というお手本集が作られた。宋の太宋の淳化3年(992年)のことである。これは宋の宮廷に伝わっていた歴代の名筆を模刻して拓本を取り、 十巻にまとめて、大臣たちに下賜された。これが「集帖」のはじまりである。(一つの名筆だけの法帖は「単帖」という。)
 この淳化閣帖は大変な人気で、以後、たびたび複製(復刻・翻刻)されることになる。そして古典的な名筆を集めた集帖だけでなく、個人の筆跡を集めた集帖も、 宋・元・明・清朝の時代にいろいろ作られることになる。

W.三希堂帖
清朝の乾隆皇帝は、王義之の「快雪時晴帖」・王献之の「中秋帖」・王cの「伯遠帖」の三つの希代の名筆を手に入れて、北京の古宮の養心殿の西室を「三希堂」と名づけた。
乾隆皇帝は、また清朝の内府に収蔵されている名筆を495塊の石に模刻させて、合計32巻の『三希堂帖石渠宝笈法帖』を刊行した。内容は魏の鍾 から、明の董其昌までを収め、 乾隆11年(1747年)に完成した。原石はいまも現存している。
 この三希堂帖は、各種法帖中、最も規模の大きいものである。初拓本は濃墨の鳥金拓で周辺に規模がないが、道光年間の重印本には万字辺を増刻している。今回、展示したのは、 この道光重印本の三希堂法帖である。

X.展示した拓本
 三希堂帖の他に、全搨本を22点展示したが、これらは書道科の元教授の故乾鍵堂氏が研究室に収集されたものを中心にして、近年、書道科で新しく収集したのも加えている。
 次に出品拓本について簡潔に記しておく。

1.石鼓文(周の宣王時代)
 鼓形の石の胴の部分に狩猟に関する文詞を刻したもの。10個の石に272字の大篆(籀文)が残されている。石は北京の故宮博物館に現存する。展示拓本は、清の院元の複製本である。

2.史牆盤銘(西周末期)
 1972年に陝西省風県で出土した青銅器の銘文の拓本。18行に284字の金文体の篆書が刻されている。周の諸王の功績をも称揚し、諸王につかえた微史家の代々の祖先の功績を挙げ「今、牆も 天の命を受けて祭服を授けられた。それを記念してこの器を作った。万年まで永く宝用せよ」と結んでいる。西安・周原博物館蔵。

3. 山碑(秦・始皇帝28年・前219年)
 秦の始皇帝が東巡した際の第一刻石で、原石は山東省雛県の 山に在ったが亡失。今回の拓本は、北宋の鄭文賓が重刻した石碑(西安の碑林にある)から取ったものである。これは北宋の 徐鉉が唐拓本から模したものを993年(淳化4年)に重刻して長安の国子監に建てたものである。原石の書者は秦の宰相・季斬と伝えられている。

4.大吉買山地記(後漢・建初元年・76年)
 浙江省会稽の跳山の摩崖に刻された買地記。上部に「大吉」の二字を置く。字径は30cmに及び、漢の刻石中最大のものである。

5.石門頌(後漢・建和2年・148年)
 陜西省褒城県の漢中博物館に収蔵。褒斜渓谷の石門道の岩壁に刻されていたもの。ダム建設で水没を避けるために移した。石門道を修理した司隷校尉楊孟文の功績をたたえた文が、隷書で書かれている。22行、行30字。

6.孔謙碣(後漢・永興2年・154年)
 孔謙(字は徳譲、孔宙の子。孔子の20世の孫)を称えた喝。喝とは、背の低い石の意味。碑面は79cm×52cm。8行に行10字の隷書が刻されている。山東省・曲阜の碑林にある。

7.礼器碑(後漢・永寿2年・156年)
 山東省曲阜の碑林にある。一名韓勅碑とも言う。時の魯相の韓勅が孔子廟を修理し祭礼用の礼器を整えたときの記念碑である。漢碑中第一の称がある。隷書、16行、行36字。

8.孔宙碑(後漢・延熹7年・164年)
 泰山都尉孔宙碑とも言う。孔宙は孔子20世の孫。石碑はもと孔宙の墓の前に在ったが、清朝の乾隆年間に曲阜の孔子廟の碑林と称されている。隷書、15行、行28字。

9.曹全碑(後漢・中平2年・185年)
 西安の碑林に在る。明の万暦年間の出土のため、他の漢碑にくらべ石面は良好。古来、礼器碑と共に漢碑の二大傑作と称されている。隷書、20行、行45字、400字余。

10.元鸞墓誌銘(北魏・正始2年・505年)
 楷書。碑上部に15cm大の穴があり、その穴を中心として上下二段にわたり、四方外に向かって行2、3文字が刻される。河南省博物館蔵。

11.元鸞墓誌銘(北魏・永平元年・508年)
 上海博物館蔵。楷書、12行、行16字を書く。元詳は、献文帝の第七子。孝文帝の末弟。河南省長陵北山に葬られた。

12.元騰墓誌銘(北魏・神亀2年・519年)
 元騰は、明帝の曾孫、簡王元良の第八子で、靖王元緒の弟である。507年に卒したが519年に夫人程氏と共に合葬された。墓誌は洛陽で出土。河南省博物館蔵。18行、行18字。

13.元倪墓誌銘(北魏・正光4年・523年)
 元倪は、北魏の道武帝の玄孫で、497年に卒したが、523年に景陵の東山に移葬された。楷書。19行、行22字。上海博物館蔵。

14.鄭義下碑(北魏・永平4年・511年)
 鄭道昭が父の鄭義の徳を称えて撰文し、書いたもの。山東省菜州市(旧、掖県)の雲峯山の摩崖に51行、1300余字が書かれている。鄭道昭の代表作品でもあり、 六朝碑中で最も広く知られ高く評価されているものである。

15.張猛龍碑(北魏・正光3年・522年)
 魯郡の大守、張猛龍の徳を顕頌した碑。張氏の祖先が代々儒学を尊び学校を興し、張猛龍も租業を継いだことを称えている。この碑の書法は、清朝の包世臣が推奨してから注目されることになった。 26行、行46文字。山東省、曲阜の孔子廟の碑林に在る。

16.智永真草千字文
 智永は王義之七世の孫。俗名、王法極。呉興の永欣寺に住し浙東の諸寺に真草千字文を800本施入したという。のち石に刻されたもの。

17.雁塔聖教序(唐・永徽4年・653年)
 遂良の書。西安の慈恩寺大雁塔に現存。聖教序とは、唐の玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏典の漢訳に対する太宗の賛辞。高宗の記も含む。

18.集字聖教序(唐・咸亨3年・672年)
 弘福寺の僧懐仁が太宗の命令で玄奬三蔵の訳教に対する太宗の賛辞の文章を王義之の真跡の文字を集めて、23年かけて完成させた石碑。今でも習字の手本として人気が高い。西安碑林に現存。

19.顔氏家廟碑(唐・建中元年・780年)
 顔真卿(709−785)が父の顔惟貞のために代々学者の家系であった顔氏の出自を書いたもの。石碑は四面刻。顔真卿72歳の時の書である。西安の碑林に在る。彼の代表作の一つである。

20.郭虚己墓誌銘(唐・天宝8年・749年)
 河南省偃師博物館蔵。1997年10月に河南省偃師市首陽山鎮で出土した。蓋に「唐故工部尚書贈太子太師郭公墓誌銘」の16文字が篆書で書かれている。本文には「朝議郎行殿中侍御史顔真卿撰併書」とあり、 筆者は顔真卿で、天宝8年は41歳の時である。「多宝塔碑」よりも三年若書きである。全部で35行、行34字、計1150字が端正な楷書で書かれている。

21.張猛龍墓誌銘(北魏・正光6年・525年)
 魯郡の太守であった張猛龍は、525年に建興郡下で死亡。同年11月8日、郷里の河陰芒山に改葬された。それは、この墓誌銘の内容から分かることである。出土の時期などは分からないが、原石は今日本に在り、個人の所有物である。

22.王鐸書墓誌蓋篆書(明・17世紀中頃)
 1998年9月、河南省洛陽市清安で明代末期の夫婦の合葬墓が発掘され、その墓誌銘の蓋に刻まれていたのが、日本で人気の高い王鐸の篆書であった。1999年『文物』に紹介されたもの。

23.三希堂帖(清・乾隆12年・1747年)
 乾隆帝が内府所蔵の名筆を495塊の石に刻して32巻の法帖に仕立てさせたもの。北京の北海公園の閲古楼の壁面に嵌入されて現存する。古今法帖中、最大のものである。

Y.最新の資料
 上記のうち、「張猛龍墓誌銘」、顔真卿の「郭虚己墓誌銘」、王鐸の「墓誌蓋篆書」の拓本は、平成13年になってから入手したものである。日本で公開されるのは初めてのものである。

Z.記念講演
 平成13年11月11日(日)午後2時から4時まで、本学の書道科の卒業生で非常勤講師でもある清原實門先生に、「書道手本と拓本」の題目で公演していただいた。大変興味深い内容で、 拓本の起源や取り方について詳しく教わることができた。

                                                (美術教育講座)