「書道拓本展」雑感

山元宣宏

 平成13年の学校祭期間中に「書道拓本展」が開催されましたが、「拓本」とは聞き慣れない用語ではないでしょうか? 拓本とは石碑や器物などの文字や文様を、墨を使って紙に写し取ったものです。その対象物である石碑は唯一無二のものであり貴重です。 また巨大な石碑ともなると容易に動かすこともできません。そこで拓本が採られることとなるのです。拓本は対象物に直接貼り付けて写し取るので原寸大です。 また、石碑全体の概観がわかるように採拓されたままの状態を全搨本(整本)といいますが、今回の展示品の大部分がこの全搨本でした。 拓本の醍醐味は全搨本に限るとはよく言われ、往時の息吹をそのまま感じることができます。 また、拓本が対象物に密着していたという事実は、鑑賞者に様々な思いをめぐらせ、時と場所を越えた一体感が生まれるのではないでしょうか。
 また古来より書の上達には、名跡を学書することでした。しかし名跡たる原本は唯一です。 手本として手元に置いておきたい願望が生じるのに無理はありません。これは拓本が普及すると共に 学書と深く結びつく要因です。なおこの場合、全搨本では手習いするには大きすぎるので、切り離して本仕立てにします。これを剪装本と言います。
 さて本題の展覧に目を向けますと、普段は書店で買うことのできる影印本で見ている石碑を、この拓本で見ると雰囲気が全く違って見えてきました。 不思議なことですがこれが拓本の魅力なのだと感じました。拓の墨色であったり、整然と並ぶ文字に圧倒される思いでした。 そして実際に筆を執って字を書いてみたい衝動にかられました。
 具体的に今回の展示で特に注目したのが顔真卿(708−784)の書でした。まず展覧会場に入ってすぐに晩年の代表作(72歳)である『顔氏家廟碑』があり、 一番奥の部屋には現存する顔真卿の書の中でも最も早い時期(41歳)の『墓誌』が展覧され、両者を比較しながら鑑賞することができました。 『郭虚己墓誌』は1997年に発見され、2000年に中国の雑誌『文物』に紹介されたばかりの新出土資料です。
 よく書道史の上で書聖と称される王義之を正統派とし、顔真卿を革新派の書と位置づけられます。 顔真卿は755年に起こった安禄山の乱に対し、一人兵を出して武勇を挙げ忠臣としての名をほしいままにした人物です。 そのため革新派のイメージが強調されているのだと思います。これは諸氏に指摘されるところですが『顔氏家廟碑』に代表される顔法といわれる顔真卿の独特の書き方などは、 北斉時代の仏教摩崖にも筆法の源流が窺えますし、彼の行草作品の『争座位稿』にも、字形の取り方等に王義之風の伝統的な面が現れているといわれています。
 王義之の影響を受けているのはわかるのですが、どうも私自身が釈然としないところがありました。しかし今回の展示された『郭虚己墓誌』と比較することで、 自分なりの明確な答えを導き出すことができました。この書は、初唐の三代家の一人として名高い虞世南の『孔子廟堂碑』の筆法や字形代目の孫である隋の智永に筆法 を学んでいるのです。つまり顔真卿は王義之の流れを受け継いで、その後の独自の風格を築き上げていったのでしょう。この智永の書である『真草千字文』も展示され、 書道史の流れを一連の関連性を持って辿ることができたのも大きな収穫でした。
 又、この会場に居ながらに両者を比較できることを素直に喜ばなければならないという思いを強く感じました。もし実物の石碑を見に行くならば、『顔氏家廟碑』は 陜西省の西安にあり、北京からだと快速列車に乗っても約15時間はかかります。一方の『郭虚己墓誌』は河南省の偃師にあり、北京から快速列車で約10時間かけて洛陽まで行き、 その後そこから車で約1時間もかかるのです。私は実際に石碑を苦労して身に行っただけに、それが原寸大で、しかも碑全体の外観がわかるように採拓されているのですから、 拓本の恩恵を身にしみて感じました。
 もう一つ興味深い資料として「王鐸篆書の墓誌銘蓋」の展示がありました。王鐸(1592−1652)は展示会の盛んな日本の現書壇において、もっとも人気のある作家です。 王鐸の派手な行草作品ではつとに有名ですが、篆書作品は全く知られていなかったのです。それが1998年に発見され、1999年に中国の雑誌『文物』に紹介されました。 これも新出土の資料でした。王鐸の篆書を見ることで、多面的な角度で彼を捉えることができイメージも広がりました。
 先の顔真卿『郭虚己墓誌』や「王鐸篆書の墓誌銘蓋」は『文物』等の権威ある雑誌にも紹介された来歴の明確なものであり、雑誌等で紹介はされていますが公に展覧されるのは この拓本展がおそらく本邦初だと思われます。本学旧蔵の佳拓と新出土資料とが展示された意義深い展覧であったといえるでしょう。
                  (大学院教育学研研究科 修士課程 美術教育専攻1回生)