漢詩を読み・創って28年

川北泰彦

 昭和50年(1975)4月、奈良教育大学で漢文学を担当するようになって28年経った。
 大阪淀川区三国生まれの私だが、僅か5年で太平洋戦争を機に父の出身地である九州に帰り、大分県(中津・大分)・ 福岡・長崎と32年間を過ごして、まさに九州人として、言語も発想も染まっていたように思う。 唯、伊賀上野出身の母だけは「すかん(嫌い)」「よだきい(めんどうくさい)」「~しちょる(~している)」 といった所謂九州弁と「あかん」「~てはる」をミックスして使っていたし、関西独特のイントネーションは消えずに暮らしていた。
 お陰で、着任当初から何の抵抗もなく関西弁のリズムの中で暮らすことができた。 しかし、母とは逆の、講義は「共通語風」つまり、大分訛主体の九州弁、日常の会話は「怪しげな関西風」でのスタートだった。 ところで、学生時代に国語学の先生に教わったことだが、大分弁は「行かず東京弁」といって、 いくつかの単語にアクセントの違いはあるが、とても共通語に似ているそうである。
 かくして、生まれ故郷の筈であるが関西弁の中の異郷での生活が始まった。 何といっても嬉しかったのは、念願叶って「漢文学を卒論とする学生(数人のことではあるが)と暮らせること」 になったことであった。
 さて、前置きが長くなったが、今回は「漢詩、特に唐詩の読み方」と「漢詩創り」について、 二三気になることを書き遺しておくことにした。

  (1)「春暁」「江雪」
  (2)「常娥」
  (3)「江南春」
  (4)いい詩・わるい詩

(1)風景描写とその裏事情
 盛唐・孟浩然の「春暁」と中唐・柳宗元の「江雪」とは、殊に日本人に愛好される代表作中の代表作である。 とりわけ「春暁」は中学校教材の8割の会社で採用されている春の詩である。
 この二誌が日本人に愛される所以は「春冬の景ののどかさと美しさ」にあると思う。
 しかし、実は二詩共に「裏」がある作品と考えられる。 中学生相手にその裏事情は不要・しらせ過ぎかもしれない。 が、大学生には「そこを理解してこそ」と考える。 以下、原詩と大意のみ記しておく。
  春眠不覚暁 処処聞啼鳥
  夜来風雨声 花落知多少   「春暁」
  (大意) 春ののどかな眠りに暁を知らず/鳥の啼き声で目を覚ます/ そういえば昨夜は風雨の音がしてた/庭にはどれほど花は散っているのだろう

 従来の鑑賞は省く。
 作者は科挙不合格となった。 従って、朝6時からの宮仕えは不要である。 いや、できないのだ。 朝廷のあった長安の春は零下の温度であり、春とは今の2月か3月、暗く寒い中の出仕である。
 負け惜しみかもしれないが「おれは鳥の声で起きればいい」とは孟浩然の至福を感ずる一瞬ではなかったろうか。

  千山鳥飛絶 万径人蹤滅
  孤舟蓑笠翁 独釣寒江雪   「江雪」
  (大意) 見渡す限りまっ白な雪、山に鳥の姿なく、地に人の影もない/ ふと見ると蓑笠をつけた翁ひとり、小舟で釣り糸を垂れている

 古来、冬の山水画の代表的風景として愛されてきた。 しかし、中国では「釣り糸を垂れる」ことは「聖天子に自分の才が認められる」のを待つこととして譬えられてきた。 太公望呂尚と文王の話がその起源である。
 柳宗元は、当時「改革」を目指したが、事前に仲間と共に捉えられ遠島の憂き目を見ていた。 真面目な宗元はその地柳州で生涯を終えた。 今でいう「冬の時代」を詠ったものである。

(2)本音で詠えぬ李商隠
 晩唐の代表詩人・李商隠は、当時「牛李の党争」という二大派閥争いの両派に関わったばかりに 生涯「こうもり」の汚名を着せられ不幸な人生を強いられた詩人である。 唐詩4万首を超える中でも唯一「無題」という題を付けているのも、作者の苦渋の跡を見るようだと私は考えている。
 「常娥」は、女性の名前である。古代神話に登場する。 弓の名人羿(げい)の妻であるが、羿が西王母にもらった不老不死の仙薬を盗み飲んだが為に、 急に天空へと飛び月に着いた後に蟇(がま)となってしまう。 李商隠の詩では、その蟇の姿をした常娥が「盗んだことを夜毎後悔しているであろう」と詠んでいるが、 李商隠自らを重ねていること疑いなしである。 この詩は書き下し文のみ。

  雲母の屏風 燭影深し
  長河漸く落ち 暁星沈む
  常娥 応に悔ゆべし 霊薬を偸みしを
  碧海 青天 夜夜の心
             「常娥」(七言絶句)

(3)晴天と雨天の詩「江南春」
 「江南春」は高校教材によく採用される「美しい春の江南」として紹介されている。
 ところが、唐詩としては大変珍しいといえるものである。 つまり、起承句は晴天であるのに、結句で雨天となっている。 一般の唐詩では「起承」と「結」は、時や場所が同じなのである。 従って、教師用指導書などでは「一句一句を絵巻物のように見る」と解説している。
 しかし、私は「杜牧の心象風景がオーバーラップされた」ものとして考える。 原詩のみ記す。
  千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風
  南朝四百八十寺 多少桜台煙雨中
             「江南春」(七言絶句)

 杜牧42歳頃、「会昌の排仏」で多くの仏寺が排された時期があった。 転句の「南朝時代には480寺にも及んだ寺々の楼台も今は見られない」 結句の「どれほど残っているだろう、雨に煙っている」となるが、 作者の涙して見ている姿が浮かぶ。 単に「絵巻物として美しい江南を賛えた」のではあるまい。

(4)漢詩創作、いい詩・わるい詩
 一般教養科目が教養科目に衣替えされてから「漢詩をつくる」を開講した。
 詩の形式を説明しながら、「形式通り」ではない「いい詩」を紹介している。 その代表が李白の作品である。

  両人対酌山花開 一杯一杯復一杯
  我酔欲眠卿且去 明朝有意抱琴来
             「山中与幽人対酌」(七言絶句)
 (大意) 二人で飲んでいたら花も開き/一杯一杯と酌み交わす/ わしは酔って眠くなったからぬしは帰りたまえ/明日気がむいたら琴を抱えてきたまえよ

 漢詩づくりでは、①韻を踏め②平仄のルールを守れ③後半3字は平にするな④韻を踏んだ語群の語は詩中で使うな。 などなどのルールがある。 そして、この詩は「違反だらけ」。 つまり「わるい詩」となるが、実は「いい詩」なのだ。 同じ字を何度も使い、冒韻(上の④に当たる)、平仄のルールにも反している 「一杯 一杯 復た 一杯」がそうであるが、交互にやりとりする姿が何と生き生きと表現されていることか。

 大学の漢文では「何を考え、学んでもらうのか」の答えが出せないままに今年が来た。
 これからも「悩むこと」を忘れずに生きたい。 学生諸君・先生方、ありがとうございました。

(国語教育講座)