「中国近現代書法展」について

館長 松本宏揮

 教育資料館では、平成14年11月8日(金)から10日まで大学祭参加行事として 特別展示「中国近現代書法展」を実施し65件の書法作品を展示した。 中国の清王朝初期から現代にいたる著名な書法家46名の作品を集めることができた。 最終日の10日午後には、岐阜女子大学の中村重勝先生に「鄭孝胥の書法について」の題目で特別講演していただいた。

○ この展覧会のねらいは、学校教育が始まった明治5年以来、 わが国の書法芸術や学校教育のなかでの書道教育に大きな影響を与えてきた中国の近現代の書法芸術とはどのようなものであったか、 その一端を我々の持っている資料で示してみようということにある。
○ 今の高等学校の書道の教科書には、手本として昔から定評のある東晋の王羲之や唐の虞世南、 欧陽詢、褚遂良、顔真卿などの書のほかに、北魏や漢の時代の石刻資料の拓本なども取り上げられている。 これは中国の近代の書法芸術の影響だと考えられる。
○ 明治5年に、わが国で学制が敷かれたころは、江戸末以来の伝統的な書風の手本が使われていた。 やがて国定教科書の時代となる。 初等教育での教員の養成は師範学校で行われていたが、中学高校の指導者養成は文検 (文部省検定試験)が大きな役割を果たした。
 文検に合格するのは大変難しく、厳しい受験勉強が必要だった。 受験者は著名な書法家に師事したり、独学で最新の書法研究に取り組んだものである。 (最後の文検は昭和24年。)
○ 明治13年、駐日公使何如璋の随員として楊守敬が1万数千点の金石碑版の拓片を持って来日した。 かれは歴史地理学者であるが金石考証学にも造稽が深く、碑学派の大家でもあった。
 碑学とは、北魏や晋・漢の時代に北方地域に残された昔の石碑などに刻まれた古代文字から書法を学ぼうとする考え方である。 従来の帖学(伝統的な手本・法帖で書法を学ぶ方法)に対する語で、清朝中ごろから盛んになった学書法である。 (当時話題になった拓本などの主なものは昨年度の特別展で展示した。)
○ 当時の日本の代表的な書法家の日下部鳴鶴や岩巖一六、松田雪珂などは、北碑の拓本に驚きながらも熱心に碑学の書法を学んでいった。 そして彼らに育てられた、丹羽海鶴、比田井天来、山本竟山、田代秋鶴などが、大正・昭和の書道界や書道教育の世界を指導していったのである。
○ 中国での碑学の書法理念を主張したのは、阮元(1764~1849)である。 彼は19世紀の初めに、『南北書派論』『北碑南帖論』を書いて、 南方の伝統的な書法は王羲之の手紙の書法を中心として伝承されて流麗になったが、 古法(漢代の隷書法)を失っている。 北方の石碑の謹厳実直に書かれた文字には、秦漢の古法が伝えられており、これらの書法こそ研究されるべきだと主張したのである。
○ このころの中国では地理調査の一環として昔の石刻の探索とその拓片資料の収集が盛んに行われ、 『両漢金石記』(1789年刊)『山左金石志』(1797年刊)『金石萃編』(1805年刊)などの書物も出版されていた。
 一方、篆書、隷書の古法を実技の方面から研究した鄧石如と、彼の書法を推奨した包世臣の『芸舟双楫』(1846)が出て、 碑学の理念と方法が広まっていった。 そして呉讓之や趙之謙が出、康有為の『広芸舟双楫』が出てさらに盛んになる。
○ 清末から中華民国にかけては、呉俊卿や徐三庚などが出て篆刻が盛んになり、日本の政治家や文人との交友も深くなる。 もちろん伝統的な書法の大家、劉石庵、梁同書、王文治、翁放綱など、帖学の大家たちも少なくない。
○ なお主な出陳書法家は、笪重光、翁放綱をはじめ、阮元およびその弟子の何紹基、銭泳。 文字学の大家・楊沂孫、呉大澂、篆隷書法の名手・楊見山、呉俊卿、王福庵。 日本の政治家たちとも親交のあった鄭孝胥。 中華民国時代から現代中国への沈尹黙、鄧散木、林散之、沙孟海、銭君匋、顧廷龍。 現在の中国書法家協会の重鎮、王学仲、劉江、高式熊、邱振中などの作品も展示した。
○ 最後に若干の作品への私の感想を記しておく。
何紹基『臨争座位稿四幅』
 この作品は、私が本学に着任した昭和51年、8月に初めて訪中したとき上海で手に入れたものである。 何紹基(1799~1873)は湖南省道県の人で、字は子貞、東洲居士と号した。 道光16年(1836)の進士。阮元に学んで金石碑版の学に長じた。 特に顔真卿の書法に傾倒し、漢碑の隷書法も深く追究した。隷書や行草書も篆書の書法で書いたと評される。
邱振中『張継詩楓橋夜泊』軸
 有名な張継の詩「楓橋夜泊」を行草書で書いたもの。 邱振中氏は平成7年(1995)4月から2年間、書道科の外国人教師をつとめてくれた人である。 現在は北京の中央美術学院の教授である。
王学仲『筑波大学序』(隷書軸)・『上筑波山』(草書・横披))
 王学仲氏は山東省縢県の人。天津大学教授、中国書法家協会副主席、筑波大学客員教授を歴任。 私の師・今井凌雪が外国人教師として筑波大学に招いた人である。 自作の詞・詩である。
劉江『李白詩将進酒四幅』
 四川省の人で、中国美術学院教授。岐阜女子大学客員教授として滞日の折りの作品展で手に入れたもの。 きっちりとした篆書体で書かれている。 本学からの留学生もお世話になっている。
顧廷龍『金文篆書軸』
 顧廷龍氏(1904~2000)は、華東師範大学教授、上海図書館長、中国書法家協会名誉理事を歴任。 中国書法使節団として来日。 私の師の老朋友で、そのお弟子さんの鄭麗芸さん(現在、椙山女学院大学助教授)を本学の大学院で指導した関係で、 私の為に特別に書いて下さった一幅である。

(美術教育講座)