基礎科学を学ぶ:ノーベル賞受賞者のことば

田﨑健郎

 ここ3年、物理・化学の分野で日本人科学者のノーベル賞受賞が続き、本当に喜ばしいことです。 物理学者小柴さんのことばが印象的でした。 「ノーベル賞は勿論うれしいけど、基礎科学が認められたことが何よりもうれしい。」 記者団の質問「ニュートリノ天文学は何に役に立つのですか。」 に対し、一言「何も役に立ちません。」 政治家のことばには驚きました。 「日本も捨てたものではないな。 もっと日本人は自信を持って良いのではないか。」 勿論、冗談だと思いますが…。 化学者野依さんの言葉「私がノーベル賞を受賞したのは幸運です。 日本には受賞してもおかしくない化学者は沢山います。 政府はここ三十年間にノーベル賞受賞者三十人を目指すなどといっていますが、理解に苦しみます。」
 話はほぼ四十年前に戻ります。 当時私は東京教育大学(現筑波大学)理学部の学生でした。 学長は朝永振一郎先生、ノーベル物理学賞受賞者湯川さん(京大で同学年)と並んで世界的な素粒子学者でした。 酒と落語と音楽をこよなく愛し、すぐれたユーモアと批判精神との持主、たぐいまれな人格者でもありました。 大学の学生新聞のインタビューで、「先生にとって基礎科学とは何ですか。」 に対する朝永先生の答えは 「人間の知的好奇心を満足させる、何ものにも代えがたいもの」 であり、科学に対する心構えとして、 「公式的な考え方や、独りよがりを止め、自ら考え、確かめること。 この力をつちかうには旺盛な知的食欲と頭の弾力性をもつ学生時代が大切である」 ことを力説されました。 当時、科学技術長官だったと思いますが、新進気鋭(?)の政治家の就任時の発言が 「何の役に立つかわからないようなことをやっている物理学者の頭を札束でひっぱたいてやる」でした。 これは冗談にしてはきつすぎますが。 このような言葉が飛び出す時代でしたから、朝永先生の「ことば」に感銘を受けたのだと思います。 ついでに先生の落語を一席、 「…大学の先生と落語家は似通ったところがありまして、高座というところに上がりまして、あいも変わりませず、 お古いばかばかしいところを一席お願いいたしまして…」。 朝永先生は、湯川さんに次いでノーベル物理学賞を授与されました。 その頃のお話の一節「知的好奇心…がややもすると独善的になることはこころしなければなりません。」 学長職後、「物理屋に戻りたい」との御自身の意に反して学術会議の議長など科学行政官の激務につかれました。 後年、食道癌にみまわれ、発病した時「酒とタバコのやり過ぎでガの字にやられたよ」と友人に話したそうです。 先生は、多くの著書(専門書、啓蒙書、随筆集)を出版されております。 晩年、執筆に力を込められた「物理学とは何だろうか 上・下」(岩波書店)は物理学の歴史のみならず、 著者の物理観、科学観、世界観が込められ、新書版ですが代表作の一つといえる名著です。 皆さんの一読をお薦めします。
 再び小柴さん、新聞記事によると結婚式の仲人は朝永先生だったとのこと。 朝永先生のスピーチ「小柴君には酒の飲み方は教えたけれども、物理学は教えたことが無い。 小柴君のことはあまりいじらないで放っておいてください。」 朝永先生の面目躍如たるところでしょうか。 最後に、小柴さんのことば「基礎科学の研究は国民の税金でまかなわれています。 科学者はこの事を決して忘れてはなりません。 これに報いるには、実の多い研究成果をあげる事です。」 科学者といえども研究という名の下に社会から隔離されているわけではありません。 自省、自戒、自重…。 小柴さんは子供達に「理科っていうのは自分でやってみて、初めて面白みがわかるのに、やってみないうちから嫌いだなんて。 先生自身が、理科が楽しいと感じなければね。 先生がつまんないと思ってて子供に理科を好きになれっていっても無理な話だ。 先生自身が感じている楽しさを子供に伝えようとしなきゃね。」 教育の原点をお話になっているように思えます。 教えるもの(教師、親)は教えられるもの(生徒、子供)に対して常にこうありたいものです。
 さて、退官にあたって一言。 今、私が「一番欲しいものは」と問われたら、躊躇なく「若さ」と答えるでしょう。 私自身は何も欲しくありません。 思う存分などとキザなことは申しませんが、神経科学の研究に楽しく励んできましたから。 年令を重ねるのは人の常ですし、これは又これで味わい深いものです。 「若さが欲しい」、これは学生諸君への私の気持ちです。 「若い」ということ、それは好奇心に溢れ、探究心に富み、鋭い感性に輝く時期ですから。
(一部、「回想の朝永振一郎」みすず書房 から引用しました。)

(理科教育講座)