展示作品解説

教育資料館運営委員会委員  豊田宗児

 今回展示された作家とその作品の中から何点か取り上げて解説してみる。
 まず、高等学校芸術家書道で用いられる各出版社の教科書でほとんどのものに掲載されている呉昌碩の作品についてである。
 呉昌碩は名を俊、字は昌碩、号は缶廬、苦鉄、大聾という。 1844年9月12日、呉辛甲の息子として安吉県鄣呉村に生まれ、1927年11月29日、上海山西北路吉慶里で逝去。 享年84才であった。 呉昌碩は詩・書・篆刻の全てに精通した。 詩は清新淳朴でこだわりがなく、のびのびとしており、書は筆力強く、気勢に満ち溢れていた。 画は中国の伝統を継承した上で、各派の長所を融合し、詩・書・篆刻の意趣と金石の気に満ちた独特な風格を確立した。 篆刻は古朴蒼勁にしてよく鄧石如の遺璽をつぎ、高い境地と渾厚な趣を表現し、呉讓之、趙之謙らと共に、 秦漢の璽印を清朝末期に開花させ、造形芸術のエッセンスとしての篆刻をうち立てた。
 鈍刀硬入の法で印を彫り、終生習った石鼓文の研究からくる筆墨の使い方、設色の法、題款、鈐印の位置取り等、美の極地に迫っている。 1904年には西泠印社の初代社長となって当時の文墨界に君臨した。
 ちなみに、今年は西泠印社創立100周年の年にあたる。
 この作品は、1958年5月に松丸東魚が中国人民政府の招聘に応じて訪中した折、北京の琉璃廠にある榮寶齋で入手したものである。 そのすぐ向かいの慶雲堂で小さな硯を見つけこれも購入した。 帰国後数年が過ぎたある日、東魚は慶雲堂で手に入れた小硯を見ていて「呉門顧二孃」という細款に気付いた。 「顧二孃」の名を見た東魚は、時を同じくして購入した呉昌碩の篆書対聯に書かれたことばを思い出した。 そこには「墨磨顧二孃子研・茶品李四老官壺」と記されていたのである。 顧二孃が作った硯と呉昌碩が顧二孃の硯について書いた対聯が、中国から遠く離れた日本の一個人の書斎にあるという偶然に感動した東魚は、 1964年2月に硯と対聯が共に入る桐箱を作り、硯と対聯をその中に納めたのである。 そして、その箱書に「顧二孃小硯呉昌碩篆書七言聯」と記し、箱の裏面にこの二宝を入手した経緯を書いたのである。 呉昌碩が初代社長を務めた西泠印社は、王禔(1879~1960)・丁仁(1897~1949)・葉銘(1868~1948)・呉隱(1867~1922)の四名により、 杭州市西湖の北にある狐山と呼ばれる小島に創設された、印学・書画の研究組織である。 その創始者四名の内、王禔・丁仁・葉銘の作品も展示してあった。
 王禔は初名を寿祺といい、字は維李、号は福庵、羅刹江民と称した。浙江省杭州の人。 金石家の書画集を次々に刊行するなど金石界に貢献した功績は大きい。
 丁仁は本名を仁友、字は子修、また輔之といい、鶴盧と号した。浙江杭州の人。 画は梅華を善くし、書は甲骨を精写した。 祖父以来の蔵書家で、西泠八家の刻印約600顆を所蔵していた。「丁氏八家印選」「杭郡印輯」を編纂した。
 葉銘の本名は爲銘といい、字を盤新または品三といい、葉舟と号した。 浙江仁和の人。十餘歳ですでに鉄筆を工みにした。 西泠諸家を宗としたが、のちに周秦両漢に溯った。 摸印にはげみ「周秦針印譜」「列僊印翫」「鐵華盦印集」などの印譜を残した。また金石考據の学にも精通した。 印人の資料をあつめ「廣印人傳」を編述した。
 それぞれの展示作品は、王禔が隷書対聯と篆書(金文)軸、丁仁は篆書(甲骨文)対聯、葉銘は篆書(金文)対聯である。
 西泠印社の歴代社長は、呉昌碩、馬衡(1880~1955)、張宗祥(1882~1965)、沙孟海(1900~1993)、趙樸初である。 その中で、沙孟海の行草体の作品が展示してあった。
 沙孟海は、寧波の人。原名は文。号は蘭沙など。 中山大学予科教授。浙江大学中国文学系教授。 浙江美術学院(現中国美術学院)教授。 中国書法家協会副主席・西泠印社社長など歴任。
 次に、呉昌碵の四番目の息子である呉東邁(1886~1963)の作品について述べてみる。
 呉東邁、名は邁、字は東邁。号は西爽軒主。本籍は安吉縣鄣呉村である。 1886年(光緒12年)旧暦正月5日、呉昌碵の4番目の息子として蘇州西畝巷で生まれ、1963年9月20日上海南昌路で逝去。 享年78歳であった。 幼時から書・画・篆刻を好み、呉昌碵の教えを受け、よくその神髄を体得し、石鼓文を書けばとりわけ精妙で、 晩年の書画作品は神韻渾厚、古朴蒼勁で味わい深いものがある。
 呉昌碵亡きあと、芸術界の人材育成と呉昌碵を記念するために、当時のフランス租界、欠勤路望志路口に昌明芸術専科学校を創設。 王一亭を校長として招聘し、自らも副校長を務めた。 新中国成立後、1953年に西泠印社社員、上海文史館館員、中国画院上海文院画師として招聘された。
 呉東邁は呉昌碵の教育を数十年の間受け続け、父の造詣深い芸術思想、透徹した芸術館、卓越した技法を学び取った。 更には呉昌碵の生活習慣、ユーモアのある一面と剛直な性格などを深く探索し、且つ研究を重ね、 後にこれをまとめて「芸術巨匠呉昌碵」と、国画家叢書のひとつである「呉昌碵」という二冊の本を発行した。 1924年には王一亭、狄楚青、周湘雲と来日している。
 展示された呉東邁の作品は、石鼓文の文字を集めた篆刻対聯であった。 また、呉東邁の孫である呉超の作品も、同じく石鼓文の文字を集めた篆書対聯であった。
 この他、学生にも参考になったのは、各作家が臨書した作品である。 以下は、作家名と臨書した古典である。
 童大年(1874~1955)
       【篆書(臨權量銘)】
 楊 峴(1819~1896)
       【隷書(臨開通褒斜道刻石)】
 黄士陵(1849~1908)
       【篆書(臨邾公望鐘銘)】
 馬公愚(1890~1969)
       【篆書(臨石鼓文)】2種
 呉大澂(1835~1902)
       【篆書(臨撫追敦銘)】
 呉昌碵(1844~1927)
       【篆書(臨石鼓文)】
 趙時棡(1874~1945)
       【篆書(臨權量銘)】
 童大年(1874~1955)
       【篆書(臨禪國山碑)】

(美術教育講座)