「中国近現代書法展」を味わう

山元宣宏

 芸術の秋。 肌寒さの感じられた平成14年の学校祭期間中に『中国近現代書法展』が開催された。 「書法」とは中国での名称であり、日本では「書道」、韓国では「書藝」と呼ばれるのが一般的である。 「現代」とは modern の訳語として定着したもので、これは「近代」とも訳される。 modern は「ただ今」を表す6世紀のラテン語 modernus からきており、その語源は modo に由来するようだ。
 今回、まとまった数の中国近現代書法を鑑賞しながら、ふと脳裏に2つの疑問が過ぎった。 文字の起源から現代書法作品までの中国書法史を編むとすれば、 この近現代という時代は書法史の上でどのような位置づけをされるのであろうか。 また、その時代を生きた人にとっての今が、次世代の今にどう受け継がれていくのであろうかと。 その最も大きな手掛かりとなるのは個々の作品であり、その作品を如何に読み取るかが鍵になる。
 一通り作品に目を通したら、当然の如く「快・不快」感情が生じた。 感覚的認識で、心地よいものと悪いものを区別したのである。 心地よいと感じた作品には、自ら美しいという美的判断を下し、美的経験を共有したことになる。 邱振中の草書作品は、アクロバチックな筆の回転が白の空間を鮮やかに黒で彩り、 音楽を奏でるかのような筆の上下運動の織り成すリズムが、作品のアクセントとなる。 まさに長鋒羊毛の筆を、指揮者の棒を振るかの如く作品を構成していくのだ。 筆先が紙に触れる、ほんの一瞬に筆の勢いを調節し、筆の毛の表と裏を自在に操り爽快さを演出する。 その筆の開閉と紙への深度が作品に立体感を生む。 強弱のある線は、悠々とした川の流れの如くメロディを醸し出し、僕を快の境地にいざなう。
 この感覚的認識は、対象をそれが現れるがままに生き生きと捉えることができる。 理性的認識に還元されえない別種の確実さとか真実性を持つ。 ここに「書の固有の美」がある。 この段階までは、鑑賞者が各々経験してきた感受性や美意識によって鑑賞されうる範囲である。
 次に必要となってくるのは「学的な基礎づけ」を読み取る作業である。 書は、言葉が書かれているので、作品の内容解釈ができるのとできないのでは理解する度合いは異なる。 つまり作品の「意味の解釈」である。 「意味の解釈」とは語義の解釈だけではなく、書作家の生涯や逸話などのイコノロジー(図像解釈学)的な解釈をも包括される。 林散之の草書作品「読書真事業、磨墨静功夫」を取り上げよう。「読書は真の事業であり、磨墨は静かな功夫である」。 書物を読むことは我々の人生における真の文化事業であり、墨を磨って書法に打ち込むことは静かな修養である。 道を修め徳を養い、人格の完成に努めるには「読書」と「磨墨」は不可欠であるという。 彼自身は、「我が詩は第一、画は第二、書は第三」と品第を下していたという。 その思想の裏づけとなる作品であると共に、ここからも林散之の書に対する真摯な態度が読み取れる。 写真では少々見にくいが落款より、1980年7月、83歳の作であることがわかる。 73歳のとき不慮の事故(大やけど)により5本の指は一塊になったという。 手術により親指と人差し指と中指を切り離し、かろうじて筆を持つことができたのである。 それからちょうど10年。 刻苦して鍛錬を続けた成果がこの作品なのである。 不屈の精神力を感じずにいられようか。 また、一行目の「業」字は草書体の書き方ではなく、簡体字の早書きである。 簡字体とは、中国で1956年に「漢字簡化方案」が公布され、現在でも広く普及された中国の漢字政策であり、 複雑な構成の文字の簡略化である。 近現代という時代性を良く表している作品であるし、林散之の柔軟な対応振りが窺われる。

中国に次のような寓話がある。
 鳥の まさ に来たらんとする有り、 あみ を張りて之を待つ。 鳥を得る者は 一目 いちもく なり。 今一目の羅を つく れば、時として鳥を得る無し。  『申鑒』

 「鳥が飛んでくるだろうと、網を張って捕らえようと待ちかまえている。 実際に鳥を捕らえるのは網の目の一つに過ぎない。 だからといって、目が一つだけの網を作ったところで、いつまでたっても鳥を捕らえることはできない。」 と言う意味である。
 人間活動のうち書という文化現象は、ほんのちっぽけなものかもしれない。 書という視覚形式のあらわれは、まさに目が一つだけの網のようなものである。 しかしそれを役立たせるには、それを支える他の広い部分が必要なのである。

 「書の固有の美」に「意味の解釈」というスパイスによってコクと甘みがうまれ、飽きのこない味となる。 近現代書法に求められるのは、そんな料理である。 ぼくは、好き嫌いはあまりなく、何でも食べるほうである。 が、時にまずいと感じるときもある。 そんな時は、いろんなスパイスで味をごまかすことにする。

(大学院教育学研究科美術教育専攻2回生)