教育資料館と二つの教科書

館長 辰 巳 文 一

 昨年5月7日、奈良教育大学教育資料館が開館いたしましたが、これにつきましては、前学長後藤稠先生、現学長赤井逹郎先生はじめ本学におられる教職員、同窓会並びに教育関係の方々の御支援によって実が結んだことを感謝いたしております。
 その後も、教育資料館の提供が続き、資料の内容が一段と充実してまいりましたことを喜んでおります。
 収集された資料の整理もすすめられおりませんが、現在は、本学図書館所蔵の明治以降の教科書とともに協力者の方々から寄贈を受けました資料等の中から江戸時代より現代に至る教育資料、並びに本学史に関する資料、退官された教官の美術作品等を展示いたしております。
 今後、さらに教育資料の収集と内容の整理をすすめ、充実した展示等に努めてまいりたいと考えております。
 また、本学教育資料館開館以来企画いたしておりました「教育資料館だより」第1号を、このたび刊行することになりました。今後、本資料館の内容充実と共に「教育資料館だより」の刊行にも努めてまいりたいと考えておりますので一層の御支援を賜りますようお願いいたします。
 さて、私は本学において美術科教育を担当いたしておりますので、本学に保管されております美術関係の教科書の中から「小学普通画学本」と「新定画帖」を取り上げて、それについて述べてみたいと思います。
 「小学普通画学本」は、明治11年(1878)文部省から出された教科書でありますが、これは、我が国でもあまり残っていない貴重なものです。
 本学にこれが保管されており、今後も大切に保存していきたいと考えております。
 明治5年(1872)8月に学制が発布されまして、奈良では、その年椿井小学校が開校しました。学制発布とともに小学校で美術教育が行われましたが、その頃は、図画(今の絵画)のみを学習しました。この時使用した教科書「西画指南」は、文部省から出されたものですが、これはイギリスのロベルト・スコットボルンの著書を翻訳したものでした。
 この教科書は、前編2冊、後編2冊と附図の計5冊から成り、小学校では、子供たちがこの教科書に出ている図を手本にして、手本通りに描くといった臨画の学習がすすめられました。
 この教科書の中に描かれているモチーフは、すべてイギリスのものでした。
 この「西画指南」の中に「運筆に習熟して腕や手がよく動くようにすべきであいり書の習得法と同じである。」と書かれていたことによっても、明治初期の図画教育の指導方法がうかがえます。
 この頃は、子供たちが手本通りに描けるように何回も反復練習をして描いたものです。
 この「西画指南」による図画の教育がはじめられた頃、ヨーロッパでは印象派の胎動期であり、モネが「印象日の出」の作品を出品した第1回印象派展は明治7年(1874)に開かれたのです。
 明治6年(1873)文部省から「小学画学書」が出されましたが、この教科書もヨーロッパの図画の教科書の翻訳本の域を出ませんでした。
 ただこの教科書には、点線で表わされた碁盤割りの線の上に描かれた図を、子供が写し取るといった罫画が出ていました。
 こうしたヨーロッパのモチーフによる図画の学習が行われていましたが、明治11年(1878)はじめに述べた「小学普通画学本」が文部省から出されたのです。
 この教科書は。甲之部12冊、乙文部12冊計24冊から成っていました。
 この教科書が「西画指導」や「小学画学書」と異なったところは、取り上げられているモチーフが、すべて我が国のものでした。本学に保管されているこの「小学普通画学本」を見ますと、ごへいや針箱、鏡台などが描かれています。
 これまでの教科書には、ヨーロッパでの生活に使用された器物や風物などが出ていましたが、この教科書において初めて我が国のものが取り上げられていたのです。この明治11年頃は、鉛筆が輸入されて市場に出まわりました。
 ここに取り上げました「西画指南」「小学画学書」「小学普通画学本」は、すべて臨画としての教育をすすめるうえで作られたもので、子供たちが大人の描いた手本をもとに、反復練習によって描くといった技術中心の教育でありました。しかし、これらの教科書の内容は、易から難へといった系統性が考えられて構成されていました。
 系統性にしろ、反復練習による学習方法にしても、また臨画による学習も、現在の美術教育の中に新しい角度から生かされています。
 さて、明治43年(1910)4月に「尋常小学校新定画帖」が文部省から出されました。この教科書は、児童用6冊と教師用6冊から成っていました。また大正元年(1912)「高等小学新定画帖」が出され、共に昭和の初めまで使用されました。この「新定画帖」もまた本学に保管され教育資料館にも展示いたしました。
 この「新定画帖」は、当時東京美術学校の教授であった白浜徴が文部省から欧米へ美術教育の研究に派遣されて、3年後の明治40年3月帰国その研究のうえにたってアメリカの教科書を参考として作られたものです。
 この内容をよく見ますと、上記の3種類の教科書に比べて臨画の教育から脱しようとする努力がうかがえます。
 「新定画帖」の内容は、今までに行われてきた臨画の学習に加えて記憶画、写生画、考案画の学習が取り入れられています。
 記憶画は、記憶して描くといった学習内容で、現在の美術教育で行われている構想画との関連が考えられます。また、写生画は、小学4年で景色の透視図が出ていますが、今のような風景写生までにはいかなかったと聞いています。また、考案画は、図案の学習で小学2年で二方連続模様が取り入れられているなど、今のデザイン学習との関連が考えられます。
 この教科書は、色刷りであり描画材料は、低学年から色鉛筆を使用し、高学年で透明水彩絵具を使用することとしていましたが、水彩絵具は当時高価であったため、色鉛筆を使用したようです。
 「新定画帖」は、以前のものと比較して非常に新鮮な刺激を与えたものでしたが、実際の現場では、この編さんの趣旨が生かされず、相変わらずの臨画の手本として使用されました。
 私が、以前吉野郡下北山村立桑原小学校(奈良県最南端の山間へき地校の一つ)を訪れた折、この「新定画帖」を見つけ明治時代の交通不便な遠隔の地にまでこの教科書が配られたことを知って感慨にふけったことを思い出します。
 さて、本学に教育資料館が出来、こうした貴重な教育資料に直接ふれて充実した研究が出来ることは、非常にありがたいことであります。
 さらに、国際的な視野に立った比較研究やこの資料館をいかした研究実践などを、今後すすめていたいだければと思っております。
                           (美術科教育)
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