古文書に見る森本小学校の設立の経緯

小柴幸文

森本小学校の創立
 櫟本小学校の沿革史によると、森本小学校の創立は、明治5年6月文湖舎(新築森本村)となっている。
 その後、
 明治17年、櫟本小学校森本分校。
 明治19年、櫟本小学校森本分教場。
 明治20年4月、森本尋常小学校。
 明治22年4月、櫟本小学校森本分校(尋常1.2年のみ)。
 明治25年3月、廃校し本校へ合併。
と変遷を重ね、校舎自体は、そのまま民家に転用され、現在は吉田耕作氏の住居として使用されている。
 奈良県教育80年史48ページからの「明治八年第三大学区奈良県管下公学校表」によると、名称文湖舎。学科 小学。位置 添上郡森本村。設立日 明治七年六月六日。新築。公有。教員1。生徒 男子28・女子27。扶助金配当高2042円4里8毛 学校長 喜多六郎となっている。
 当時の県下の小学校の総数は375校で、その内新築されたものは、30校にすぎなかった。

現存する旧森本小学校の校舎
 私はごく幼い頃から、吉田甚吉さんの家は、森本小学校だったということだけは聞いていた。しかし、具体的にそれが小学校であったという証拠を見た訳でもなかった。私の10歳のころのこと(1930年頃)、吉田さんは、60歳過ぎであったろう。その頃は、森本小学校が廃校になってから、約30年が経過していることになるが、廃校当時の地主から借りて住んでおられて、約30年くらいに当たる。
 ところが、戦後になって、村の役職を引き受けるようになってから、総代の引き継ぎ書類の中に、森本小学校に関する書類のあることを知った。さらに、櫟本小学校の100年記念行事を行った折、森本小学校の鬼瓦が展示されて、森本小学校への関心がたかまった。
 以後、機会あるごとにその構造や設備についても観察し、事実であるということは疑う余地が無くなった。
 教育資料館の仕事をするようになってから、改めて資料を確かめてみると、下の書類のようなものがあった。

小学校二付書上ゲ帳
 下に出してある書類は、その一部であるが、当時の学校建設にかけた村人たちの熱意と、財政負担の様子がありありと分かってくる。しかもそれが、具体的な当時の建築物と共に現存していることに、驚きを禁じ得ない。
 なお、この書類には、村内56軒の負担金の明細もついているが、ここでは割愛しておく。
 半分を負担した蔵之庄村の書類も照会したが、その存在を確かめることは出来なかった。
  (教育資料館)

森本村小学校ニ付書上ゲ帳 添付予定。


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