「教育資料館」の新しい役割と機能

館長 中川喜代子

 教育資料館は、わが国の近代公教育制度がスタートした明治初期以降の貴重な歴史的教育資料の収集・保存とその有効的活用を図る教育資料館の設置に対する奈良県を中心とする教育関係者等からの強い期待と要望に応えるべき、平成5年(1993)年5月に開館されたが、2年目を迎えた今年度は、広汎な教育と学習についての社会的要請に応えるため、事務局との連携のもとに、学内共同教育研究施設として充実・整備する取組を推進している。
 教育資料館を充実・整備する第1の視点は、近代公教育に関する歴史的資料を積極的かつ早急に収集することである。奈良県は、大阪・京都・神戸などの大都市に近接の位置にありながら、教育的施設や資料等の保存という点では比較的好ましい状況下にあったが、阪神都市圏の後背地として、近年、急激な都市化の進行と、他方、旧吉野郡など県南部の過疎化とダム建設等による、”むら”の崩壊や義務教育施設等の改廃などに象徴されるように、奈良県自体の急激な社会構造の変化のなかで、これまで保存されてきた貴重な歴史的教育等も散逸するおそれが大きくなってきている。
 したがって、これらの資料の収集を急ぐとともに、系統的に、整理・分析して、教育・研究に資する基礎的資料として体系化することが、本学教育資料館に課せられた主要な役割であるといってよい。
 古来、奈良の地は、歴史的にも、中国・朝鮮をはじめとするアジアとの文化的交流の結節点であった。さらに、1994年9月の関西国際空港開港以来、アジアをはじめ、地球規模での「人・物・情報」の交流の場となる近畿圏の古都として、世界中からの訪問者が増加しつつあるが、そのような奈良市に位置する本学において、アジア各国とわが国における教育制度・教育方法・教育内容等に関する比較研究の拠点として、また、今日の驚異的な経済発展の基盤として、世界的にきわめて高い評価を得ている日本の「義務教育制度」の発展のプロセスをあとづける歴史的教育資料を積極的、系統的に収集・整理・分析するとともに、マルチメディア技術等も活用して、これらの教育資料を常設的に展示する博物館としての役割をも果たしたいものである。
 将来的展望として、教育資料館のもう一つのビジョンは、わが国における人権教育・人権問題研究の拠点となることである。周知のように、奈良県は、大正11年(1922)年3月、全国から集まった約3,000人の被差別部落の人びとが、自ら立って人間の尊厳と”差別”からの解放を訴えた全国水平社の発祥の地であり、昭和終戦後の混乱した日本社会のなかで生じた長期欠席・不就学児童・生徒問題に対する教師たちの取り組みからスタートした「同和教育」において、奈良県の教師たちが果たした役割は非常に大きい。
 わが国における人権教育の原点ともいうべき「同和教育」関係の諸資料を体系的に収集・整理・分類し、これからの人権教育の研究に資することも奈良県にある教育大学としての本学の重要な社会的役割であろう。

  「学習権とは、
    読み書きの権利であり、
    問い続け、深く考える権利であり、
    想像し、創造する権利であり、
    自分自身の世界をよみとり、
    歴史をつづる権利であり、
    あらゆる教育の手だてを得る権利であり、
    個人的・集団的力量を発達させる権利である」

と、ユネスコの『学習権宣言』に謳われた、”人間として生きるために学ぶ権利”を、世界の非識字人口の75%を占めるアジアの人びとに保障するために、日本の「同和教育」で培った実績を活かしてノウハウを提供するなど、人権教育関係資料の充実を図ることは、”水平社発祥の地”にある本学の責務であるといえよう。
 ところで、ヨーロッパ評議会は、1980年代に入って、青少年のあいだにとくに顕在化してきた人権差別、外国人排斥などの行動に典型的にみられる「非寛容」・「暴力的行動」・「テロリズム」などの多発傾向や、他方、長びく不況、世界的レベルでの貧困・不平等などに起因する無力感・幻滅感などが青少年を覆う問題的状況などに対する強い危機感から、1985年5月、加盟各国に対して、『学校における人権についての教育と学習に関する勧告』を行い、「学校が、個人の尊厳を尊重し、差違(違い)、寛容性、機会の平等を学ぶ”場”である」ことを確認した。
 ”ベルリンの壁崩壊”に象徴される東ヨーロッパの解体以来、多文化・多民族社会の進行のなかで、「寛容性」にもとづく人権教育の普及は世界的な課題となりつつある。
 また、南北の格差や地球環境の問題など、グローバルな視点からの教育が時代的要請となりつつある今日、アジアだけでなく、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア等における人権教育やユニセフが提唱する「開発のための教育」、さらには地球市民の育成をめざす「グローバル教育」等に関する資料・教材・情報等を積極的に収集し、多元的な”人権教育”のコンセプトをはじめ、教育内容・教育方法等の視座から分析・検討し、わが国においては比較的新しい分野である”人権教育”の教材の充実と手法の開発のための基礎資料の整備に努めることも、「地球市民」の育成という社会的要請に応える教育大学の大切な役割の一つであろう。
 気球規模で進行している多文化・多民族社会化という世界的潮流に対しては、極東の小さな島国であるわが国といえども決して例外的存在たりえないことは、わが国に在住する外国人が急増している現状からもうかがうことができる。
 法務省入国管理局の統計によると、1993年12月現在の外国人登録者数は過去最高の1,320,748人を数え、昭和48年(1973)年当時の738,410人を100とする指数では、179と2倍近くに増加している。国籍(出身地)別では、韓国・朝鮮(51.7%)、中国(15.9%)をはじめ、フィリピン、タイ、ヴェトナムなど、アジア地域が全体の77.8%を占めているが、米国、ペルー、英国、イラン、カナダ、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、インドなどが上位にはいっているほか、対前年比では、ロシア連邦(27.2%増)、イラン(23.3%増)、フィリピン(20.1%増)などの増加が著しい[表1、表2]。

 表1 国籍(出身地)別外国人登録者数の推移
平成4年12月末日現在平成5年6月末日現在平成5年12月末日現在構成比(%)平成5年6月末日現在に対する増減比(%)
韓国・朝鮮688,144685,079682,27651.66-0.41
中国195,334204,982210,13815.912.52
ブラジル147,803155,714154,65011.71-0.68
フィリピン62,21860,84973,0575.5320.06
米国42,48243,18642,6393.23-1.27
ペルー31,05133,23333,1692.51-0.19
英国12,02112,36112,2440.93-0.95
タイ10,46011,53111,7650.892.03
ヴェトナム6,8837,1917,6090.585.81
10イラン4,5165,4776,7540.5123.32
11カナダ6,1326,3256,4500.491.98
12オーストラリア5,8906,5556,2690.47-4.36
13インドネシア5,2015,5655,6470.431.47
14マレーシア5,7445,6265,4610.41-2.93
15インド4,0354,4574,6420.354.15

 表2 外国人登録者総数の推移   (各年末)
総数対前回増減率(%)指数我が国の総人口に
占める割合(%)
昭和48(1973)年738,4101000.68
53(1978)年766,8943.91040.67
58(1983)年817,1296.61110.68
61(1986)年867,2376.11170.71
62(1987)年884,0251.91200.72
63(1988)年941,0056.41270.77
平成元(1989)年984,4554.61330.80
2(1990)年1,075,3179.21460.87
3(1991)年1,218,89113.41650.98
4(1992)年1,281,6445.11741.03
5(1993)年1,320,7483.11791.06

 このような地球レベルでの多文化・多民族社会化のなかで、「寛容性」にもとづく人権教育の普及は世界的な課題となりつつある。国際連合は、「”寛容”−他者の認識および尊重、あるいは他者とともに生活し、他者に耳を傾ける能力−は、あらゆる市民社会の基盤であり、平和の強固な基盤であることを確信」して、今年(1995年)を『国際寛容年』と宣言している。
 参考までに、人権教育・人権情報・人権問題研究に関する近畿の他府県の取り組みについて紹介すると、京都では、遷都1千年を記念して1994年、京都府・京都市・経済界等の支援・協力によって『(財)世界人権問題研究センター』を設立したし、大阪では、同じく、大阪府、大阪市をはじめ、関西経済界、企業、民間人権団体、労働組合、宗教団体等の財政的支援・協力を得て、『(財)アジア太平洋人権情報センター』が同じく1994年12月に設立され、世界の人権問題研究の拠点として、またアジア・太平洋地域における人権の伸長と国際化にふさわしい市民の人権意識の高揚をめざして、世界の人権情報の収集・発進基地としての機能の充実に努めている。
 このような状況のもとで、「奈良県でもなにかできないか?せめて、人権教育関係の研究と情報の発信センターとして・・・」というのが、筆者の率直な思いでもある。
 以上、厳しい”現実”と”夢”をないまぜながら、新しい教育資料館への構想を描いてみた。教育資料館で収集された多面的な教育関係資料を、教育関係者・学生はもちろんのこと、広く、教育や生涯学習に強い関心と意欲をもつ一般市民、さらには義務教育課程で学んでいる”低年齢層”などを対象として、それぞれの研究・学習に提供・活用するためには、データベース化が必要である。
 また、きわめて広汎かつ多用な形態の教育資料に対応して、データベースも多様なメディアを収容できるおようなものとし、マルチメディア技術を活用すること、とくに、”映像世代”の学習関心に応え、学習効果を高めるためには、教材開発などにおけるAV(Audio Visual)技術の活用も積極的に進めていくべきであろう。したがって、そのための経費の確保等条件の整備も、教育資料館にとっては来年度以降の大きな課題である。
 なお、参考資料として、「奈良教育大学教育資料館概念図」(教育実践研究指導センターの藤原教授作成)を提示させていただいた。
(社会教育)

奈良教育大学教育資料館 概念図(挿入予定)


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