国家的大事業としての第一回国勢調査

−中西康四郎氏寄贈の国勢調査関係資料より−

中川喜代子


☆ 「帝王の学問」としての人口調査
 人口調査は、エジプト、バビロニア、中国など、帝王と国の存在するところでは。紀元前の太古から行われていました。 帝王にとっては、統治をより確かなものにするために、支配し、管理する人口を数えること、すなわち、端的に言えば、徴税と徴兵の 基礎資料を得ることを意味していたのです。
 わが国における人口調査の歴史も古く、大化の改新(645年)によって班田収授の法が敷かれ、徴税と徴兵のために6年おきに調査が 行われていたことや、時代が下がって徳川8代将軍吉宗が厳しい人口調査を行ったことなどをご記憶の方もおられると思います。

☆ 近代以降の人口調査と、日本における「国勢調査」の歩み
 欧米諸国についてみますと、アメリカでは、1790年の憲法にもとづく第1回人口調査の実施以後、国会議員の定数の基礎として 10年周期で行われてきましたし、1801年には、イギリス、フランスなどでもそれぞれ、国の実態を把握する方法として設定されていきました。 因に、「統計学(Statistik)」の語源は「国家」あるいは「状態」を意味するStato(イタリア語)で、ドイツにおいて「国家(Staat) についての知識」つまり「国家の基本制度を研究する学問」として体系づけられたことは興味深いことです。
 日本では、明治維新以後、近代国家としての体制整備が急がれるなかで、人口、土地、財産など国民の生活をはじめ、国のあらゆる 状態を把握する調査の必要に迫られ、1881(明治14)年には統計院を設立、1902(明治35)年には『国勢調査に関する法律』が制定されます。 わが国の場合、欧米諸国の人口調査(センサス)とは異なり、国民一人ひとりの身上から産業にまでおよぶ総合的な国の状態−"国勢"−を 国家(権力)が掌握しようとする意図のもとに、統合的な調査として位置づけ、調査への協力は国民の義務とされました。
 徴税と徴兵の基礎として人口を把握する試みは、すでに、江藤新平の提唱による 1872(明治5)年の「壬申戸籍」の編成としても 取り組まれていましたが、産業化・都市化の進行によって戸籍と現実との乖離が進むといった問題や、警察官による戸籍調査など、5年ごとに 実施されてきた人口調査の信頼性の問題等が指摘されていました。そこで、「文明国の仲間入り」をするためにも、「ある一瞬間を期して現在の 人間を一々点検して算える」という「精密な技法」と、政府が任命した各地方の名士を調査員とする人口調査が、1920(大正9)年10月1日を 期して、第1回「国勢調査」と銘打たれた国家的大事業として、実施されることになったのです。

☆ 教育資料館所蔵の「国勢調査」関係資料

 ところで、本学の教育資料館には、第1回国勢調査に関する貴重な資料が、1994年に中西康四郎氏から寄贈されています。これらは、当時、 奈良県吉野郡上北山村に居住し、内閣から「第1回国勢調査員」として任命され、調査に当たられた父君・中西菊太郎氏の遺品の数々で、 「任命状」(右写真)「調査員章」「記念メダル」「感謝状」などをはじめ、臨時国勢調査局が編集・発行した『国勢調査員必携』、奈良県臨時国勢調査部 発行の『国勢調査の栞』『国勢調査申告書記入の栞』などのほか、「国勢調査申告書(調査票)」(見本および実票の写し)、さらには、1920 (大正9)年12月25日付けで、臨時国勢調査局長官から内閣総理大臣に提出された『国勢調査速報』の写しなど、社会調査に関心をもつ研究者 としては、誠に貴重な資料から成っています。  そこで、これらの資料から、欧米に肩をならべ得る科学的統計を作成するために、当時の政府関係者たちが、どのような機構・体制のもとで、 どのような手法を駆使して、国勢調査を実施したいったかについて、社会調査方法論の視点から、2〜3のテーマについて検討してみたいと思います。

☆ "国勢調査"を把握することの意味
まず、臨時国勢調査局が編集・発行して調査員に配付した『国勢調査員必携』には、国勢調査の意義と目的について、「国勢調査というのは、国家社会 の実況を調べ、其の国における社会組織の内容と、国民生活の実情を審にし、善政の基礎を作るのが目的で、それが為、先ず全国一斉に一人一人に就いて 実地の調査を行ふ」ものであると述べ、「国家が繁栄し、国民が幸福になるには、常に時代に適応して、国家の制度や、社会組織を整頓し、行政の施設でも、 産業の経営でも、出来るだけ無駄や、重複のない様にするのが肝要であり」、国勢の基本を正確に知るために国勢調査が必要であることを指摘し、「今回 の戦争(第1次世界大戦)でも欧米の各交戦国が、前々から行って居た国勢調査」などを「本として、種々に組立てた組織で彼の様な目覚ましい活動が出来た」こと、 「何れの国でも戸口や、土地は其の国の成立の基本で」あるから、古くからの人別調査のような不十分な調べ方ではなく「何うしても欧米諸国の様な、 国勢調査の方法に依らなければならない」のであり、「殊に、世界五大強国の一として列国と肩を並べて行くには、予め国勢の基本になるものを、正確に 調べ、その正確なる統計に依ってあらゆる国家の施設を行わなければなりません」と結んでいます。1920年の時点で、わが国がアメリカ・イギリス・フランス ・ドイツとともに五大強国の一つとしての意識を強く持っていたこと、それから約10年後のアジア侵略戦争へと傾斜していく素地がすでに形成されつつあった ことをうかがわせるという意味で興味深いものがあります。さらにまた、今日のようなコンピュータなどが無い時代に、調査実施後わずか2ヶ月余を経過した 1920年12月25日には『国勢調査速報』が、内閣総理大臣に提出されていることからも、臨時国勢調査局を中心とする当時の関係者たちの意気込みが示されて いるといってもよいでしょう。

 『国勢調査速報』(写真挿入予定)

☆ 地方の名士を調査員に導入・鼓舞する
 このような国家的大事業を推進する尖兵としての調査員には、各地方の名士を選別し、内閣からの任命状を交付することによって、エリート意識をくすぐり、 鼓舞するとともに、その責務を自覚させ、調査に遺漏なきを期しました。例えば、奈良県臨時国勢調査部発行の『国勢調査の栞』の緒言には、次のような 記述があります。
 「我国第1回の国勢調査は愈々来る10月1日を以て全国一斉に行はれんとす、欧米諸国にては既に10数回の調査を重ね常に其の結果を活用して国運の進展に 貢献する所多大なるものあり、我邦に於いては実に昿古の大事業に属し若し此の調査にして蹉跌失敗を見ることあらんか内に在りては朝野多年の希望をして 徒労に属せしむるのみならず国務に重大なる関係を有する此の事業の将来に於ける一大障碍となり外は列国に対し我文化の真価を疑われ五大強国たる帝国の 地位と信用を失墜することなきを保すべからず而して之が完全なる成績を挙ぐるには主として地方機関殊に調査員の奮励努力に俟つ所多きは言を俟たずとも 雖も各学校、青年会、在郷軍人会、宗教家、其の他各方面の協蓼援助と一般国民の誠意ある諒解を求むるの急且要なるを認む乃て県は今回共同印刷の方法に 依り特に本書を編纂して汎く希望者に頒ち其の趣旨の普及徹底を図ると共に十全の成績を収めんことを期す背くは本事業に関係ある者幸に其の意の存する 所を諒し熟読翫味以て其の目的の達成に努力せられむことを」(強調筆者)
 今回、寄贈を受けた資料のなかに、大阪毎日新聞社が主催した国勢調査宣伝講演会において、当時の臨時国勢調査局調査課長が講師として講演した内容を 12回にわたって連載した新聞の切り抜きを丹念に台紙に貼り、『国勢調査の話』中西菊太郎携と記した表紙を付けて綴られたスクラップ集があります。 おそらく、上北山村の国勢調査員に任命された中西菊太郎氏が、自らの職務に対する自覚と誇りをもって収集されたものでしょう。次に紹介します講演集12回 の見出しからは、国勢調査に対する国の期待や、国民の素朴な疑問、さらには当時の世相や雰囲気が伝わってくるような気がします。
(1)何故コンナ大袈裟な調査をするのか
(2)何故警察の調(しらべ)は役に立たぬか
(3)申告書に書くのは此の八つの事柄
(4)夫は『松サン』妻は『嬶(かかあ)』でも結構
(5)戸籍の丸写しでは何にもならぬ
(6)野暮な戸籍と粋(すい)な国勢調査
(7)厄介なお妾さんソレは斯う書く
(8)眼目は職業調べ之が政治の基礎
(9)ドイツに倣った在郷軍人の職業調(しらべ)
(10)税金などとは絶対に無関係
(11)心配無用=秘密は洩らさぬ 
(12)調査員は国民を代表する名誉職

☆ 懇切丁寧なマニュアルの作成・配付

 国の威信と名誉にかけて、先進欧米諸国に比肩し得るような"国勢"に関する正確な統計を、という本来の目的を達成するためには、国土全域にわたって 任命・配置された調査員が、同一時期に、同一の方法によって、必要とする情報を正確に収集することが重要な前提条件であることはいうまでもありません。 寄贈された関係資料の前記リストからもわかるように、『国勢調査員必携』(国勢調査局発行)をはじめ、『国勢調査の栞』『国勢調査申告書記入の栞』 (いずれも奈良県臨時国勢調査部発行)など、調査に関するマニュアルが調査員に対して配付されていたようです。情報の質はまったく異なりますが、 われわれが毎年1月に動員される「大学入試センター試験」の周到に用意されたマニュアルにも相通ずるものがあるでしょう。
 これらのマニュアルには、<国勢調査の意義と目的><調査員の任務と心得><調査項目と申告書記入例><申告書記入方法と調査方法についての 質疑応答(Q&A)><国勢調査に関する法律・施行例・施行細則等>などが記載されていますが、『国勢調査員必携』には、「国勢調査員の特に注意 すべき事項」として、@受持ち区域内の実況を準備調査すること、A記入方法を説明して申告書用紙を配付すること、B相手方の質問には懇切に答える こと、C必要に応じて、記入の代筆を引き受けること、D回収の際の記入事項の検査などを指摘しているほか、E関係のない質問を発して、疑惑を招き、 感情を害する様なことがないよう、F応対を丁寧にして、申告義務者に不快の念を懐かせないように、といった注意も列記しています。また、「国勢調査 員心得」(内閣訓令第3号)の総則に、「国勢調査員ハ世帯ニ就キ職務ヲ執行スル際、必要ナキ事項ヲ質問スベカラズ」(第4条)、「国勢調査員ハ 職務執行中知得シタル事項ヲ故ナク他ニ漏洩スベカラズ」(第5条)など、センシティブな個人情報の収集に関して、調査員が尊守すべき守秘義務を、 一応は規程していることが注意を引きます。

☆ 国家のニーズが先行した詳細な調査項目
 しかし、調査項目は、世帯員それぞれについて、<氏名><世帯における地位><性別><出生年月日><配偶の関係><職業及職業上の地位> <出生地(道府県、郡、市町村名)><民籍別又は国籍別>の記入を求めています。とくに、<配偶の関係>については、「死別又は離別(りえん)の 後、現に独身(ひとりみ)の者は、夫々死別又は離別と書き入れること」とあり、<職業及職業上の地位>については、本業と副業について、「農業」は、 自作・小作等の別を、「官公署に勤務する者」は官職・官公署の名・部局を、「軍人」については兵種・階級等を、そして、寄宿舎、下宿屋等の「準世帯 に在る学生・生徒」については大学・学校名等の記入を求めています。また、<出生地>については、(1)「朝鮮人、台湾人、樺太人、北海道旧土人は 夫々朝鮮、台湾、樺太又は北海道と書き入れること」、(2)「外国人はその国籍を書き入れること」と注記しているなど、今日の"人権感覚"から見れば、 プライバシーに関わるセンシティブ情報の収集が意図されており、こうした項目が列記された申告書(調査票)への記入が、世界五大国のメンバーを 自負する国家における国民の当然の義務として規程され、地方の名士たる調査員の自覚と信用に任されていたことは、やはり注意すべきことでしょう。

 (国勢調査申告書)(写真挿入予定)

☆ プライバシー保護と調査拒否にどう対応するか
 第1回国勢調査の実施以来、昭和に入っての戦争と敗戦、新憲法のもとでの統計調査の見直しと新しい『統計法』の制定(1947年)と同年の臨時 国勢調査を経て、1950年からは5年ごとに国勢調査が行われています。調査項目も、<住宅>に関する項目が追加されており、回答方法は電算機処理 の関係から記述式から回答肢の選択へと整理されましたが、基本的には個人のセンシティブ情報が収集されていることには変わりがありません。 そのため、情報化社会におけるプライバシー保護の視点から、国勢調査への協力拒否が、1980年の国勢調査あたりから、しばしば問題になってきています。 旧西ドイツでは、全国的規模で展開された国勢調査ボイコット運動によって、1983年、実施直前に中止されるなどの動きもあり、1985年には「個人データ の公開と利用について基本的な自己決定権を認めた画期的な『87年国勢調査法』、『新連邦統計法』が成立するなど、国勢調査を見直す一連の取り組みが みられます。
 日本においても、本格的な情報化社会の到来を迎えて、国勢調査のあり方が根本的に再検討されるべき時期に来ていることは確かでしょう。 国勢調査の意義と目的を基本的に検討することを通じて、目的に即し、人権の視点=プライバシーの保護の視点から調査項目や回答肢を最小限必要な 情報の収集に限定すること、調査の実施にあたる調査員のあり方、調査方法とくに調査票回収方法の抜本的な検討が大きな課題となっている現在、 75年前に、国家的大事業として実施された第1回国勢調査に関する資料を検討しながら、今更ながら「時代は変わった」という思いを強く感じている ところです。
(社会教育)


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