奈良吉城プラン日常生活課程

館長 松 村 佳 子

 日本の子女の教育は、明治5年に「学制」がしかれる以前には、私塾と寺子屋で、「学制」施行後には、学校においてなされてきた。昭和 20 年を境にその制度やカリキュラムに大きな変化があった。戦後の新しい教育を目指して、日本の各地でカリキュラムの研究と開発が行われた。
 本学教育資料館所蔵の「奈良吉城プラン・生活カリキュラムの実践」は、奈良師範学校女子部付属小学校が昭和 24年 11月に発表した、同校で実施されていたカリキュラムで、教育課程論や教育史の中でもとりあげられているものである。これの冒頭「単元再構成への道」を読むと、この本の元に成っている「奈良吉城プラン」(昭和 23年 10月) が出されていることがわかる。これは、吉城の同人といわれた奈良吉城プラン研究会のメンバー、大木哲朗、福田章太郎、石川利和、上手美子、川端通敬、川渕勝男、久保田浩、森せい、永野大年、里村喬一、滝田富子、塚信一、浦西己代治の 13氏が、 ”戦争と敗戦によって子どもたちは傷つき、ほんとうに生きるということを見失ってしまっている。今何よりも大切なことは、子どもたちに自分自身の力を発見させることである。そして、自らが問題を発見し、自らその問題解決の方法を考えうる知性をもてる行動人を育てる場として、「子どもたちのための学校をそだてる」こと”等について昼も夜も、盆も正月も返上して熱心に討議し、研究して創り上げられた「日常生活課程」という貴重なプランである。手を尽くして探したが、残念なことに「奈良吉城プラン」(昭和 23年 10月)の原本はまだみつかっていない。しかし、幸いなことに筑波大学の山口満氏より原本からのコピーをお借りすることができたので、これを元にして復刻するという計画がなされ、教科教育の先生方の手で作業が進められている。
 戦後間もない頃の小学校の教育は、コアカリキュラムで特徴づけられるものであった。その中で、「奈良吉城プラン」は、複式教育の研究、低学年教育の研究、社会科カリキュラムの研究などを基礎として創り上げられた実践研究の成果である。山口氏は、このプランについて「学校を子どもの人間形成のための生活の根拠地に変えるという課題意識に基づいて、生活主義の立場に立つ教育の考え方が次第に明確にされ、確立されていったが、これを内容的にみると、「明石プラン」に代表されるような当時の生活教育の一般的な潮流の中ではいわば少数派に属するかなり特異な存在であったとみることができる。」と述べている*。 このことは、久保田浩氏からいただいたお手紙の一節”何とか明日とを考えて手をつけたのが同プラン(吉城プラン)です。管制のものには存在しない自らが納得するものをと考え、その頃主流であった桜田プラン(文部省・アメリカ)明石プラン(倉沢剛指導)若草(奈良女子大)などを分析批判して純粋に生活主義の立場に立とうとしました。勿論内外からの批判もはげしく戦後のひとつのたたかいでした。”からもうかがえる。
 戦後ほぼ 10 年周期で改訂されてきた文部省学習指導要領の流れをみるとき、系統学習や探求学習に重きをおいた時代を経て、ゆとりの大切さが叫ばれて久しい。そして今、これからの学校教育が目指す方向として、中教審答申・「生きる力」の育成を基本とし、子どもたちが自ら学び、自ら考える教育への転換を目指す。
 戦後間もない頃と今とでは、物質的な豊かさの面では大きな違いがあるが、学校教育に求められているものは共通することが多くある。その意味でコアカリキュラム「日常生活課程」は一度は見直しを要求されたが、今また、これから学ぶべきことがたくさんあると思える。復刻されたら、資料館にも頂戴し、24 年版と共に是非皆さんに読んでいただきたいと考えている。         (理科教育)
※山口満、安井一郎:”奈良吉城プランの「日常生活課程」の成立過程に関する研究”筑波大学教育学系・教育学系論集 第 14巻 2号(平成2年3月)

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