『商売往来絵字引』を読んで

本 城 正 徳

 本学の教育資料館と図書館には合計48点の往来物が所蔵されている。往来物というのは江戸時代の寺子屋で教科書として使用された書物であり、私もその程度の知識は有していたのだが、実物にお目にかかったのは、教育資料館の展示物が初めてであった。
 本学の梅村佳代先生のご研究(「本学所蔵の往来物の研究(T)」、『奈良教育大学教育研究所紀要』第32号、1996 年)によれば、所蔵されている往来物の中心は商業・農業などの職能に関連する語彙や用具名称を教科書として編纂した実業類の往来物とよばれるものであり(18点)、その他に各種の往来物(教訓・消息・地理・歴史・女子用往来物など)が数冊づつ含まれるとのことである。
 教育資料館に展示されいてるこれら様々の往来物を実際にみて、なかでも印象的であったのが『商売往来』であり、とりわけ語彙・用語に彩色つきの図解がほどこされている『商売往来絵字引』であった。そこで以下、梅村先生のご研究やご教示に学びながら、この『商売往来絵字引』(以下『絵字引』と略す)を読んでみた(あるいはながめてみた)感想を、いくつか書いてみることにしたい。
 この書物をみて、まず第一に印象的だったのは、その彩色の鮮やかさであり、印刷技術のすばらしさであった。この書物は『商売往来』という表題からもわかるように、本来は江戸時代の商人の子弟教育のための教科書であり、商人にとって必要な各種の用語や心得からなっている。
 それに加えてこの『絵字引』では、やや大きな文字で記された各用語・語彙のすぐ下に関連する図絵ないし図解(いわばカット絵)がみごとなカラー印刷(木版摺り)で配されており、さらに簡潔な説明文も付けられているのである。図絵の大きさは多少の差異はあるが、2〜3センチ×2〜3センチ程度、説明文の文字はさらに細かく一字が0.5センチ×0.5センチ程度(もっと小さな文字もある)のサイズである。1ページのサイズが縦 17センチ×横 11.5センチという比較的小振りといってよい紙面に、いわばびっしりと、しかし、十分に美しさを保ちながら、これらの用語・カラー図絵・解説文が配されているのである。
 こうした『絵字引』の印象は、保存状態の良さによるところも大きいが、何よりもまず江戸時代の木版印刷技術の水準の高さと確かさを示しているように思われる。手彫りの木版でここまで細かい線が出せることは、やはり驚きである。多色摺りの図絵(カット絵)も何枚かの版木を使用したものと推測されるが、印刷のずれはほとんどみられない。色調も幕末期の出版物(この点については後述する)とは思えないほど鮮明である。江戸時代の多色摺り木版印刷物といえば、浮世絵の類が著名だが、おそらくはそうした技術と同系統の技術が、往来物という庶民の教科書にまで波及している事実は注目に値する。
 『商売往来』についての、書誌的なあるいは出版物としての研究は乏しいとのことであるが、この『絵字引』をみて、木版という技術的制約にもかかわらず、その枠内でほとんど究極にまで高められたかに思われる江戸時代の印刷技術、そして広く庶民層の購買力によって支えられたであろう出版業の盛行等々、そういったいわば『絵字引』の刊行を可能にした技術的・社会的背景といったものに心がひかれた。
 『絵字引』を読んでいて、次に印象的だったのは、掲載された商品の多様さ、多彩さといった点である。『商売往来』という書物の性格上、「初学の童(「わらんべ」とルビあり)、平生取り扱うべき文字」の学習が主眼となるわけだが、文字の中心は各種の商品である。そのなかに「武士之用具」という項目が設けられ、弓・矢・鉄砲・鎧・鞍・脇差などの武家用具の名称があがっているのは、幕藩領主が支配する江戸時代のあり方からみて当然であり、わかりやすい。
 しかし興味深いのは、商品名称全体からすれば、これら武家用具はむしろ一部にすぎず、その大半が、当時の庶民を含む人々の衣食住にかかわる各種の日常的商品・用具から構成されているという点である。たとえば、「衣」関連としては、真綿・木綿・麻・苧・古手・浴衣・縮緬・綸子・羽二重・羅紗などの名称が、「食」関連では、雑穀・粳・糯・早稲・晩稲・麦・大豆・小豆・蕎麦・酒・醤油などの名称があがっている。また「住」関連では、長持・屏風・戸・障子・皿・鉢・薬鑵(やかん)・行燈(あんどん)・編笠・盥(たらい)・傘(からかさ)などの名称がみえるといった具合である。
 これら日常生活にかかわる諸商品には奢侈品もかなり含まれており、こうした品物は武家や上層町人たちを中心に使用されたものとみられる。しかしその一方で、登場する商品のなかには、むしろ当時の庶民の生活にとっても必要であったと思われるものが数多くみられるのである。『商売往来』に登場する商品の多彩さは、江戸時代中期以降における庶民を含む人々の生活水準の一般的な上昇を、まずは反映しているとみられるのであり、同時にそうした消費生活の活発化を支えた各種産業の発展や、生産された諸商品の全国的な流通網の形成をも示唆しているように思われる。
 また『絵字引』ではこうした各種の商品や用具が図解されているわけだが、そこではもはや現在では使用されていない、あるいは存在していない用具の形状や使用法も記述されており、この点でも『絵字引』は、江戸時代の人々のごく日常的な生活のあり方を知るうえで、貴重な史料であるといえる。
 さて、『絵字引』を一読しての第三の感想は、この書物の成立時期および出版場所についてである。前掲の梅村先生のご研究によれば、『商売往来』の成立時期については諸説あるが元禄7(1694)年説が有力であり、この最古の版本は大坂で出版されたとのことである。一方、『絵字引』についても考察されており、幕末期とくに文政〜嘉永期(1829〜1853)頃に成立した可能性が高いと指摘されている。
 この『絵字引』には成立年・出版元ともに記載がなく、したがってこれらの確定は難しいわけだが、内容をみていくと、手掛かりになりそうないくつかの点が指摘できそうである。たとえば、出版元(場所)についていえば、「廻船」の説明文として、「是ハ、大坂あるひハ諸国より積送る荷もつぶねなり」との文言がみえる。江戸時代に大坂および諸国からの諸商品の移入にもっとも依存していた代表的な場所(都市)といえば、まずは江戸であり、『絵字引』も、こうした文言が「廻船」の説明文としてごく自然に使用される同地の出版元から発刊された可能性が高い。「水上口銭」という用語の説明文に、「是ハ船より河岸揚(かしあげ)をする口銭等也」とある点も、こうした推測を傍証するように思われる。江戸時代の上方では川辺の船つき場のことを浜(はま)と通称したのに対し、右の説明文にみえる河岸(かし)という表現は一般に江戸(関東)での通称であったからである。
 一方、成立時期については、貨幣の名称である「壱歩」の説明文に「これハ、当時銀にて額なる物也」、「弐朱」の説明文に「是ハ、当時金にて造る也」とある点がまず注目される。江戸時代の貨幣制度にあって、壱歩(分)銀と弐朱金が併用される時期は天保期(1830〜1843)以降の幕末期のみであり、「当時」という文言は現在を意味するから、この『絵字引』も当然この頃の発刊ということになるからである。
 ただ、「酒」の説明文に「是も、米ニて製す、多く池田・伊丹にて作る。色々あり」とある点は、少し気になる。確か幕末期の江戸の移入酒は池田や伊丹を含む上方からの下り酒によって占められているのだが、その中心は、この時期もはや池田や伊丹の酒ではなく、摂津国西部の沿海に位置する灘地方の酒であったからである。語彙の説明文は、おおむね幕末期の江戸事情を反映したものとなっている(と思われる)中で、大量に移入された灘酒の名称がでてこないのが不思議である。
 以上、『商売往来絵字引』を一読しての大雑把な感想を記してみた。『商売往来』は当然ながら教育史研究の重要な史料である。しかしながら、こうしてみてくると、同時に近世史研究一般にとっても、さまざまな情報や示唆を与えてくれる書物のように思われる。いつか機会を改めて、こうした近世史研究史料としての『商売往来』についても考えてみたいと思う。
(社会科教育)

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