クモの糸の不思議
奈良県立医科大学 大崎 茂芳
クモは人間が生活するほとんどの場所に生存しているが、多くの人から気味悪いという印象を持たれている。しかし、日本のクモは危険なものではなく、親しみ深い動物なのである。ただ、最近はセアカゴケグモなどの毒グモがオーストラリアから渡ってきたことから、クモの行動をよく知って、クモと上手に付き合うことが大切となってきました。
ところで、クモ嫌いな人もクモと接触してみると、クモの不思議な行動に驚くことが多いと思われる。実際に、道具としての糸には非常に面白い性質が備わっていることも判ってくるであろう。クモは巣にかかった獲物に飛びつく時や、外敵から逃れるためにすばやく巣から落下する時に、クモは必ず腹から牽引糸(けんいんし)を出して自分の体を支えている。この牽引糸にはクモの全体重がかかっているので、糸が切れてしまうと、クモの命はなくなるであろう。このように、牽引糸はクモの生死を左右するので命綱と言われており、クモにとって極めて大切な道具なのである。
クモの糸からネクタイを作りたいという長年の願望から、クモから糸を採取する方法を探していた。糸を採取しているときに、クモの体重は大きいのに細い牽引糸はなぜ切れにくいのかということが疑問であった。そこで、牽引糸の強さがどの程度になのかを調べてみることにした。一般にクモの糸は強いと言われているが、あくまでもクモの体重のレベル(子供の頃の十グラム程度から成熟した頃の1グラム程度)との比較の結果であり、人間の力のレベルとは比較にならない。そのため、糸にクモの体重以外の力が加わらないように注意し、人間が測定に耐え得る純粋な牽引糸を集めるのに非常に苦労した。まさに、糸集めは職人芸そのものであった。
その結果、クモから驚くべきことがわかった。それは、牽引糸の弾性限界強度(バネが正常に働く領域に相当します)は、クモの体重のちょうど2倍に相当することが判ったのである。ところが、牽引糸を電子顕微鏡で調べて見ると、なんと、牽引糸は二本のフィラメント(細い繊維)からなりたっていることが判ったのである。このことは、もし一本のフィラメントが切れても、もう一本のフィラメントでクモの体を支えていることが出来ることを意味している。一本のフィラメントの弾性限界強度は、ちょうどクモの体重分に相当しているのである。このことは、クモは一本のフィラメントを"ゆとり"として機能させるべく、万が一の危険を避けるための巧妙な仕掛けをしていることが判った。たとえば、二本のフィラメントと同じ強さで一本の細い糸で体を支えるとしても、安全性は確保されるが、この場合、どこかに亀裂でもできれば直ぐに切れてしまう。したがって、安全性の観点から、牽引糸が二本のフィラメントであることが非常に重要な意味を持っているわけである。また、一本のフィラメントの弾性限界強度がクモの体重に相当することは、エネルギー的に極めて効率的なことを意味している。
このように、クモの命綱には最高に効率的な安全性のシステムが備わっていることが判った。この考え方は、様々な危機管理に適用できる。たとえば、企業で会長と社長が出張に行く際には、危険分散の観点から別々の飛行機に乗るべきである。記念写真は同じ状態が二度と来ないことから、最低2回写真撮影を行うのが望ましい。また、キレる子供には、異なった考え方の大切さを知らせるべきである。もし、異なった考え方が存在することを認めれば、凧のように糸が切れてどこに飛んでいくかわからなくなることは無くなるであろう。医療事故を回避するためには、最低二人でチェックすべきであり、一人が2倍の時間をかけてチェックしても安全性は完全にはアップしないのである。同様に、数学の問題を解いている時、答えを何回チェックしても正解と一致しないことはしばしばある。そのようなときは、他の人にチェックしてもらえば、間違いがすぐに判ることがある。これなどは、2という数字の大切さを表している。
このように、クモは4億年という長い進化の歴史の中で、死に直面しながら生き延びてきた。極めて長い期間に、命綱の効率システムが確立されてきたのであろう。我々人類は、300万年という進化の歴史を持っているが、はるかに長い進化の歴史を持つクモの行き方にまだまだ見習うべきところが多いと思われる。なお、最近になって、遺伝子技術を用いて、ヤギのミルクからクモの糸を作る技術が開発されつつあり、近い将来、クモの糸による防弾チョッキや手術用の糸としての利用が考えられているなど、クモの糸には夢が多いのである。
大崎 茂芳
1946年12月 兵庫県生まれ
1969年 大阪大学理学部卒業
1971年 大阪大学大学院理学研究科修士課程修了
1976年 大阪大学大学院理学研究科博士課程修了 理学博士(大阪大学)
1991年 農学博士(京都大学)
1995年 島根大学 教授
1999年 奈良良県立医科大学 教授