熊野の本地 概 略


 天竺摩訶陀(まかだ)国の善財王(ぜんざいおう)は千人の后があった。その一人五衰殿の女御は大王の寵を一身に集め、やがて懐妊する。
 他の后たちはこれを妬み、相人(占いをする人)を語らって、生まれ出る王子は稀代の悪王となって国を滅し、父母の命を失うであろうと、虚偽の占いをさせる。
 しかし、大王が取り合わないので、次には大勢の女を鬼形に仕立てて、五衰殿へ乱入させて大王をおどす。大王もこれに恐れ五衰殿を去った。
 そこで后たちは宣旨と称して、五衰殿女御を都から隔たった山中で殺すことを武士に命じる。深山の奥へ引き立てられ最期の座に据えられた女御は、胎内の子が生まれるまで処刑を待つように乞い、胎児に早く生まれるように言い含めると、間もなく福相を備えた王子が誕生した。女御は髪を切って神々や山中の獣に手向け、王子の守護を祈願する。
 武士が首を斬ると、亡骸は王子を抱き乳房を含ませる。さすがの武士たちも哀れを感じ、泣く泣く首を持って都へ帰った。残された王子は山の虎狼野干に守られ生長する。
 三年の後、麓に住む聖(ひじり)が不思議の告げを受けて山中の王子を尋ね出し、手許で養育する。七歳になると、王子は聖に願って大王の宮殿に赴き、大王に会って一部始終を物語る。
 はじめて事実を知った大王は本国を厭い、王子や聖と共に飛車に乗って日本へ渡ると、紀伊国音無川のほとりに跡を垂れて熊野の権現と顕れた。

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