梅村佳代 奈良教育大学名誉教授
(現職時:学校教育教育学・教育史 教授)
女筆とは「女性筆または女性用の手本」(小泉吉永編『女筆手本解題日本書誌学大系80』)を意味する。 以下本学所蔵の女筆手本類について解説をする。 解説項目は前掲の小泉編『女筆手本解題』を参照し「書番号」「書名」(原則として外題と読み) 「異称」(内題その他)「書型」(版型・冊数)「作者」「板種」(刊年・板元) 「類型」(女筆・男筆、手本・用文章、その他)「内容」(本文及び付録記事概要)「備考」とした。
(12)女筆続指南集(にょひつぞくしなんしゅう) 上 全文表示
(13)女筆続指南集(にょひつぞくしなんしゅう) 中 全文表示
(14)女筆続指南集(にょひつぞくしなんしゅう) 下 全文表示
(24)女用諸例式大成(おんなようしょれいしきたいせい) 巻之一 全文表示
(25)女用諸例式大成(おんなようしょれいしきたいせい) 巻之二 全文表示
[異称]題簽なし。上巻目次題目が『女用文章上』、中巻の目次題目が『女用文章中』 下巻の目次題目『女用文章下』である。[書型]
大本(たてよこ26.5×19.0)上巻・中巻・下巻の三巻三冊、丁数は上巻は26丁、中巻は24丁、 下巻は25丁である。[作者]源女
[板種]天和2年(1682)七月。山崎屋市兵衛、吉野屋次良兵衛
[類型]女筆用文章
[内容]上巻は正月から一二月までの各月に遣わす手紙文とその返事二四通からなる。 頭書もあり、本文に使われている語彙が取り上げられて解説が加えられている。 冒頭は「此春よりのことふき子日まつも万代とめでたく申しまいらせ候」とある。 江戸初期のちらし書き四季用文章の一つである。 中巻は三月の節句、五月の節句、七夕、盆、九月の節句、祝言、喜びの所、髪置お歯黒、 鬢そぎなど、季節ごとの節句や通過儀礼の際に遣わす文とその返事について 一〇対の往返二〇通と「志ん上乃おりかみ之かきやう」が加わっている。 下巻は「ふるまひよひにやる文」と同返事、「いなかへ下る人に遣す文」と同返事、 「はしめて人にあひて遣す文」と同返事など日常生活の付き合いのための往返手紙文、 「神事のよひにつかはす文」や「はつらひのみまひにやる文」と返事など神事や病気見舞い、 お稽古の際に遣わす文など日常生活に必要な手紙文往返一〇対二〇通と最後に 「字づくし」として日常生活に馴染み深い着物類と道具類などの語彙が 仮名つきでまとめられている。[備考]前掲吉永編『女筆手本解題』によれば源女書による天和2年出版の同種板のものに 『当流女用文章』とある。本書は表紙を欠くが外題も恐らくその名称であったのだろう。
[異称]題簽なし。上巻外題「女筆用みちしば上」中巻外題不明、下巻外題不明、上巻見返題「路芝」[書型]大本(たてよこ27.0×18.5センチ)上中下三冊を一冊に合綴、24・28・24丁合わせて76丁[作者] 玉華堂辻柳軒
[板種] 宝永元年(1704)、書肆林庄五郎
[類型] 男筆手本
[内容]挿絵あり。ちらし書。四季の風情を織り交ぜ雅やかな文が集められている。 冒頭には「四つの海静に納りし春の徳たる御事、一夜を隔て心あらたまり 千代万世とことぶきまいらせ候て誠に春の御寿ぎ、 時をうつさぬに初音の聲やさしうおりしつかになるも世の穏なるゆへとまいらせ候」とある。 上巻には手紙文12通、中巻には手紙文14通、下巻には7通の手紙文ひな型が収められている。[備考]上中下合わせて一冊に合綴
[異称]題簽あり。外題によれば「女筆若みと里上」「女筆わか美取り中」「女筆若みと里下」 各一巻一冊ずつ計三冊[書型]大本(たてよこ26.0×18.0)各一冊ずつ計三冊、丁数は上巻は29丁、中巻は28丁、下巻は30丁[作者] 筆海子長谷川豊
[板種] 出版年不明。京都四条立売
[類型] 女筆手本
[内容]上巻は京都とその周辺地域、南都へも及ぶ神社仏閣の由緒や名所の由来を述べている。 「桓武天皇の御時よ里此京はしまり四神相応の地にしてこと更かしこき君の御まつりこと」 で始められる。 洛陽見物として帝の宮古、東山、吉田、比叡山、伝教大師、祇園社、大仏殿、東福寺、稲荷山、 太秦、北野、鞍馬寺、吉野、初瀬などがあげられている。 中巻は散らしが書きが多く四季を愛でる女文の内容である。 下巻は並べ書きで源氏物語の講釈への出席の返事などの日用文ひな型である。 上中下巻に挿絵なし。[備考]前掲小泉吉永編『女筆手本解題』によれば長谷川豊は長谷川妙躰のことであり、 宝永4年(1707)版と発刊年不明版の『わかみとり』上中下巻があるがそれと同種であろう。 上巻は後に「洛陽往来」「京都往来」の名称で相当に流布した地理科往来である。
[異称]題簽なし。外題は「ちよみ草女筆中」と「千世ミ草女筆下」である[書型]大本(たてよこ26.0×18.5センチ)中巻下巻各一冊計二冊、丁数は中巻14丁、 下巻は13丁[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 享保18年(1733)正月、京都・木村市郎兵衛 (堀川通佛光寺下ル町)と菊屋喜兵衛(寺町松原下ル町)
[類型] 女筆手本
[内容]中巻・下巻の見返りに女性が字を書く姿と書いたものを眺める姿の口絵あり、 中巻・下巻ともに散らし書き、内容は日常の付き合いの挨拶文などである。[備考]巻末に菊屋書林の菊秀軒蔵板の「雑書目録」あり。
[異称]題簽あり。上巻外題は『女筆指南集上筆海子長谷川氏手本惣六冊之内』、 下巻外題は『女筆指南集』である。[書型]大本(たてよこ26.5×19.0センチ)上巻・下巻の各一冊、計二冊、丁数は上巻は14丁、下巻は11丁[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 発刊年不明。京都・岡本半七、江戸・小川彦九郎、 大坂・渋川清右衛門及び渋川與市
[類型] 女筆手本
[内容]上巻表紙見返しに女師匠が女児に女筆を教える口絵あり、冒頭は「御てならひめでたく候かしく」 「一ふで申入まいらせ候かしく」「御ふみくだされ御うれしく候かしく」 「夕かたちと御こしまち申し候かしく」「御そくもしにおはしまし候やかしく」 などの短文一四例を一丁四行の大きな文字で書いた初心者むけの女文の手本である。 下巻は表紙見返しに松と紅葉の風景の口絵あり、一丁四行の大きな字体で散らし書きによる 短文の女文手本である。 冒頭には「便に任、一筆とり向まいらせ候かしくお楠様」に始まり 「もみちもやうやう色づき候半と存じ候かしく」や「西風しげく山里よりはさびしく暮し候かしく」 など一一通の手紙文が集められている。[備考]前掲小泉編『女筆手本解題』によれば同種のものが享保19年(1734)1月に出版されたとある。 刊行年不明板も京都・岡本半七と江戸の小川彦九郎、大坂の渋川清右衛門及び渋川與左衛門の 板元のものが挙げられているが、本学の書物は大坂の板元の部分が異なっており、 渋川清右衛門と渋川與市によるものである。 また長谷川妙躰の三部作『女筆指南集』『女筆続指南集』『女筆続後指南集』の一つとされるが、 初心者用に編まれたものであり、中巻は未発見であるとされている。 また「六冊之内」とあるが一時期六冊セットで販売されたからだという。
[異称]題簽あり。上巻外題は『女筆続指南集上筆海子長谷川氏手本惣六冊之内』、中巻外題は『女筆続指南集中筆海子長谷川氏手本惣六冊之内』、下巻外題は『女筆続指南集下筆海子長谷川氏手本六冊之内』とある。[書型]大本(たてよこ26.5×19.0)上巻・中巻・下巻の三巻三冊、丁数は上巻15丁、中巻13丁、下巻13丁である。[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 刊行年不明。京都・岡本半七、江戸・小川彦九郎、大坂・渋川清右衛門及び渋川與市
[類型] 女筆手本
[内容]上巻表紙見返しに書を詠む女性二人の口絵あり。冒頭は「年ことの春のはしめの御寿詞とて御せちあそはされ候よし、我身も御まねき下され辱存まいらせ候」に始まり、「初午のにぎはいとし毎の山つたひに東風吹きわたる、梅の香もよそならすいみじく覚えまいらせ候かしく」や「夏来ニけらし衣かへのあした卯の花かさねの御悦、となたもおなしに祝入まいらせ候、なをかさねてめでたくかしく」などの季節に応じた優雅な響きの女文六通が集められている。中巻には表紙見返しに扇の口絵あり。冒頭は「芦野やのあふきは絵もやさしく風のへ□も一しほにぞんじまいらせ候気しからぬあつかはしさはかりして御凌あそはし候やかしく」など暑気見舞い文や「姫君様ご機嫌よくことに御口切のお茶あそはされ候よし、めでたさいみじく存上まいらせ候かしく」など短文の手紙文九通からなる。下巻の表紙見返しの口絵は滝と松に耳を洗う人物と牛を引く人物二人が描かれている。冒頭「耳をあらへは牛を引くかへると行の絵簾の涼しさ詠にそんしまいらせ候かへすかへすもいさきよき御□さしやと存し候かしく」と始められて六通の手紙文からなる。合わせて二一通の手紙文ひな型から構成されている。[備考]前掲小泉編『女筆手本解題』によれば同じ板種で享保20年(1735)1月出版のものがある。
[異称]題簽なし。上巻外題は『女筆岩根の松』、中巻は『女筆いは袮乃松』、下巻は『女筆岩根農松』である。[書型]大本(たてよこ26.5×19.0センチ)上中下各一冊ずつ三冊、丁数は上中下22丁・13丁・14丁[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 出版年不明。京都・岡本半七、江戸・小川彦九郎、大坂・渋川清右衛門及び渋川與左衛門
[類型] 女筆手本
[内容]上中下巻の表紙見返しに春夏秋の風景の口絵あり、上中下巻ともに散らし書き、上巻の始まりは「花郭公、月雪つくつく一とせの詠は、むかし今にたかふ事もおはしまさす、さのみ目にてのみみる物かは、心に満々ととふへきは何にたとへむ」に始まる滑らかな口調の女文、「あとの波漕行に朝ぼらけ、木末によ次る迎火のつり船、月おちかかる淡路嶋山」「鴫立沢の夕にくれ何れか感情の身にしみしみと覚えまいらせ候」と目に鮮やかな風情を綴った文と「殿様御鷹野おかへりには磯山の神垣にお立ち寄り遊ばされ」と殿様の鷹狩り帰路を伝える文などである。中巻は「夫より後はお見舞いも不申上、ご無沙汰成りまいらせ候、いよいよとなた様もご機嫌よくおさおさおめでたく存じまいらせ候、爰もとあるじ留主中何事なく暮しまいらせ候」と日ごろの無沙汰を詫び、「お庭の石竹、昼がほ咲揃ひ候、折ふし滝の涼しや」など四季の風情と移り変わりを詠い「今朝ほどめつらしく初雪の□山々のすかた庭の木立いずれもつかぬ」と初雪の風情を伝える手紙文などである。下巻は「降みふらすみの寒々とはなる雲の気色、四方の山並落葉をつくし、こがらしの音に残るにしきを、古寺の岩井の昔の雫さへこほれるほどの山里は淋しさ、人目も草もかれはたりし」と木枯らし吹く季節を伝える手紙文などである。各巻の最後には和歌が詠まれている。[備考]前掲小泉編『女筆手本解題』によれば同板種の長谷川妙躰書『女筆岩根の松』は享保20年(1735)版と寛保2年(1742)版、刊年不明版がある。本学の書は書林の名前からも刊年不明版にあたるが、上・中・下の三冊本である。巻末に浪花書林称□堂版の出版書目録あり。
[異称]題簽あり。外題『佐々禮石女筆上』『佐々連石女筆中』『さされ石女筆下』[書型]大本(たてよこ26.5×19.0センチ)。上巻・中巻・下巻の三巻三冊、丁数は上巻が15丁、中巻は13丁、下巻は13丁[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 発刊年不明。京都・岡本半七、江戸・小川彦九郎、大坂・渋皮清右衛門、渋川與市
[類型] 女筆手本
[内容]上巻巻首に女性の人物挿絵あり。内容は季節を織り混ぜた女性の手紙文手本。中巻は花鳥の挿絵あり。冬の季節を織り込んだ女筆手紙文。下巻も冒頭梅の挿絵あり。「お見舞いと仰せられた飛脚を下され−−」といった挨拶文である。全文散らし書き。[備考]板元/京都・岡本半七は京五条通東洞院東エ入町、江戸・小川彦九郎は江戸日本橋南貮丁目、大坂・渋川清右衛門・渋川與市は大坂心斎橋筋順慶町、作者は洛陽とある。
[異称]題簽なし。外題は『女筆春日野上』『女筆春日野中』『女筆嘉須賀濃下』[書型]大本(たてよこ26.0×19.0センチ)。上巻・中巻・下巻の三巻三冊、丁数は上巻は16丁、中巻は15丁、下巻は13丁[作者] 長谷川貞
[板種] 享保15年(1730)正月。京都・植村藤治郎、江戸・植村藤三郎、大坂・植村藤三郎
[類型] 女筆手本
[内容]全文散らし書き。上中下巻巻首挿絵あり。上中下に日本の能筆家、菅原道真・空海、藤原佐理について漱石の画と三近の書により紹介している。菅原については「聖廟寒夜御詩」空海については「弘法大師水筆龍」藤原佐理については「佐理卿三嶋額」により事跡が述べられている。内容は上巻は「とし男の若水くみて、いさましく四方のお庭の杉菜ましりの土筆、嫁菜、たんほほ、すみれ草一かたならぬ春のみとり、五月の嵯峨のお寺より変える御者、太秦にて音羽山、音に聞く地主の桜の葵の御神事やさしく、いと珍しき見物いたし候、世を宇治山と人はいふなりとうけ給はり候」「竹の子芥子の花盛りにて片田舎の景色もいやしからす覚え候」など季節をおりまぜた女筆手紙文手本である。中巻も「高砂住の江の松、相生の御寿詞もお姫様ご機嫌のほと御窺申上度示し候よし」など季節を織り込んだ手紙文である。下巻も「重陽の御めてたさとして菊の九献送り下され」「神無月時雨の雲のたへまより−−」と髪置きの儀礼の祝言などがその内容である。[備考]作者長谷川の居場所洛陽四条小橋、板元/京都・植村藤治郎は堀川通高辻上ル町、江戸・植村藤三郎は通石町二町目、大坂・植村藤三郎は高麗橋一丁目
[異称]題簽なし。外題は『女用諸礼式大成』巻一と巻二とあるが内題には『蝉小川』とある。[書型]大本(たてよこ26.5×19.0センチ)一巻二巻二冊。丁数は一巻は23丁、二巻は30丁[作者] 長谷川妙躰(筆海子)
[板種] 享保18年(1733)春発刊。京都・岡本半七、江戸・小川彦九郎
[類型] 女筆手本
[内容]「蝉小川文章目録」として「初子日乃文章同和歌」「八はたまふで同和歌」「あやめの節句同和歌」「花の宴同和歌」「都の春同和歌」「御倉山のもみち同和歌」とある。全文ちらし書きである。 「付録花抄」として中村三近筆による婦徳と女芸について教訓話が書かれ、「縫針之図」「読書之図」「婦事舅姑」が付されている。「女文用世話づくし」「婦人相性乃名寄」「同礫仮名」「女中文章てにおはかなぞろひ重宝記」「大ちらし書乃例」が付されている。[備考]小泉吉永編『女筆手本解題』によれば長谷川妙躰作『蝉小川』は三巻三冊とある。本学のものは二巻二冊である。一巻に「初子日乃文章」「八はたまふで」二巻に「あやめの節句」「花の宴」「都の春」「小倉山のもみち」がその内容である。
[異称]題簽なし。外題『雲いの鶴女筆』[書型]大本(たてよこ26.0×19.0センチ)二巻二冊、17丁と17丁[作者] 不明
[板種] 宝永6年(1709)5月刊。京都堀川通仏光寺下ル町伏見屋藤治郎
[類型] 女筆手本
[内容]冒頭に挿絵あり。散らし書き。「四海は静に御代も納り事、民も賑ハしく巌の亀やひな鶴あそふ風情、宝来山もよにならひ千秋万歳めでたく候」に始まる季節をおりまぜた女筆文の雛型を集めたもの。[備考]前掲小泉編『女筆手本解題』(59頁〜60頁)によれば同名の書物に作者は長谷川貞(妙躰・筆海子)とある。本学のものも作者記名はされてないが書体からみても長谷川妙躰のものであろう。
[異称]題簽なし。上巻の外題は『錦乃海女筆上』、中巻の外題は『錦の海女筆中』、下巻の外題は『にしきのうみ女筆』[書型]大本(たてよこ27.0×18.5センチ)上中下巻の三巻三冊。丁数は上中下巻それぞれ15丁、16丁、14丁[作者] 不明
[板種] 享保10年(1725)5月書・刊。京都・岡本半七、荒川源兵衛
[類型] 女筆手本
[内容]全文ちらし書き。上中下巻ともに見返しに挿絵「手習の仕用の事」や書跡などについて挿入されている。巻末には折り形、片仮名イロハ、平かなのいろは、篇冠の字尽がある。「比較的短文の女文三一通及び和歌二首を収録」(小泉前掲本72頁)している。[備考]前掲小泉吉永編『女筆手本解題』(72〜73頁)によれば本学と同板種の「錦の海」の作者は長谷川妙躰(筆海子)とある。書体からも本学のものも長谷川妙躰の書といえよう。
[異称]表紙欠落、目次表題に「女筆用文章絵抄上之目録」とある。[書型]大本(たてよこ25.0×17.5センチ)上巻一冊。丁数は22丁[作者] 万屋かめ
[板種] 刊行年不明。京都両替町
[類型] 女筆手本
[内容]全文ちらし書き。頭書と挿絵あり、(一)正月はじめて遣す文、(二)正月節句につかハす文、(三)五月節句につかハす文、(四)七月七日につかハす文、(五)盆の御しうぎに遣す文、(六)八朔の祝儀につかハす文、(七)九月節句につかハす文、(八)歳暮につかハす文からなる[備考]前掲小泉吉永編『女筆手本解題』によれば万屋かめ書・作のものは外に『四季文章年中故事女文章艶姿』などがある。
[異称]不明[書型]大本(たてよこ27.0×19.0センチ)一冊、丁数は24丁[作者] 居初津奈
[板種] 元禄7年(1694)3月中旬書・刊。京都・文台屋治郎兵衛
[類型] 女筆手本
[内容]「仁虐の教」「俶睦のをしへ」「廉貪の教」からなる。「仁虐の教」では文頭「仁ハめぐむとよむ、家内にさしつかふもの奴婢雑人にいたるまで何事につけても慈悲ふかく情あるを仁といふ」と始められ、その逆の「虐ハせたぐとよむ何事につけても情なくきつくあたるを虐と云」とのべ何事も「天地は万物の父母にして人は万物の霊なれバ人として人を愛するものを道のたすけ給ふ事也」という。「福分貴賎有て主人となり下人となるといへ共畢竟同じく人の生をうけたるもの」であり「主人も下人なけれバ其用を達する事」はできず、また「下人も主人なけれバ衣食をとる所なし」となってしまう。従って「下人は主人をたのみ主人は下人をつかひ、たがひにあひたすけて渡る世中也」とする。このように家が和睦して「孝慈順仁」を末代のものが学び守りつつしんで、召し使いの者をあはれみ、慈しめば慈悲を感じ、下人もまたよく仕えて主人の徳を表すことになるであろう、そうして子孫が繁盛し、家を守り、さかんにしていくのである。慈悲の心をもつことこそが大切と説いている。「俶睦のをしへ」も同様に「しゅくぼくハ能したしむとよめり」に始まり、万物一体の人心を明らかにして、嫁や小姑など骨肉同胞が仁愛をもって親しむこと、自分は人のためを思い、人は家のためを思い集まれば兄弟和合の楽しみが生まれるとする。「廉貪の教」も「廉はむさぶらざる也、貪はむさぶるとよめり」に始まり、そもそも財宝は天下の生民を養うためにあるものでそれらを貪り私すべきものではないと戒める。欲心をつつみ恐れて人に施し与える心があるならば自ずから徳が顕れ、幸いがくるであろうという教訓的内容が分かりやすく説明されている。挿絵三点あり。[備考]小泉吉永編『女筆手本解題』(日本書誌学大系80)によれば中江藤樹作『鑑草』八章の理念を簡潔に綴った教訓文からなる居初津奈書『絵入女教訓文章』(元禄7年3月刊)の上巻・下巻の下巻の内容と合致する。本書は表紙が欠落しているが『絵入女教訓文章』下巻である可能性が高い。挿絵も居初津奈の自筆であるという。