日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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29じ時期に「蝶々」はミクロネシアの島に讃美歌として入った、ということですね。 はい。歌詞はですね、日曜学校、キリスト教の家庭の子どもたちが日曜日に教会に集まって一種学校のようなことをしますが、その日曜学校のことを歌った子どもの讃美歌であったりしました。 少し専門的な話になるのですが、当時ミクロネシアの島々を一つの船が巡航していました。他に交通手段がありません。その船の名前は暁の星というのでしょうか、モーニング・スター号というものです。これはキリスト教を布教するための団体、伝道団といいましょうか、その伝道団の自前の船で、伝道のための専用の船なんです。それは宣教師を運んだり、手紙や他の郵便物を運んだり、宣教に必要ないろいろな物資、食料から建築資材まで運んだのですが、それがハワイを出発して半年くらいかけてミクロネシアの島を順々に回ってゆきます。島の人たちにとって船はとっても楽しみなのです。新しい宣教師が来たり、外から新しいものを持ってきたり、新しい本が届いたり、いろんな珍しいものが届く、印刷機が届くとかですね。港の沖合にモーニング・スター号の船影が見えることはとっても嬉しいことで、待ちわびていました。 そして、子どもたちはそのモーニング・スター号がやってきた、という喜びの讃美歌を歌いますが、それが日本の「蝶々」の旋律です。日本だけを見ていると「蝶々」はアメリカの学校にあった歌が日本にやってきて日本の学校の歌になった、そういう

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