日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
35/73

42うです。西洋音楽など全く聴いたこともない人たちが相手ですから、専門の音楽家でなくても、少し上手にオルガンが弾けて、良い声で歌を上手に歌えれば、当時は充分に音楽教育が可能だったと思いますし、実際、効果を上げたようです。ーそうすると、讃美歌の普及に貢献したのは宣教師夫人だったのですか? ええ、宣教の初期の時代ではそうでした。でもある時期から讃美歌の普及にとってとても重要な出来事が伝道団内部で起こってきます。ちょっと長くなりますが、それについてお話しさせて下さい。ーええ、どうぞ。 少し専門的な話になってきますが。さっきの宣教師の条件にあった「よい歌手であること、ただしあまり高い趣味は持たない事」からも分かりますが、伝道団は当初、讃美歌の現地での人気を予想出来ていなかったようです。一方現地の宣教師は宣教をはじめてみると讃美歌がとても人気があることに気づき、そしてじきにかなりの専門技量がないと対応出来ない事態が生じることになります。 アジア太平洋の伝道が成功し、その成功に讃美歌が貢献していることと関係して、ある新しい出来事がキリスト教海外伝道団の内部に起こります。それは女性宣教師、昔は婦人宣教師と呼んでいたんですけど(婦人という言葉が最近では好まれないので、女性宣教師という名前で呼ばれることが多いのです)、女性宣教師の登場です。先に結論を言いますと、讃美歌が太平洋の広い地域に普及し浸透していくことと女

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です