日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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44宣教師として海外に行くという新しい動きが起こります。ーそうなんですか。独身男性は駄目だけど、独身女性はいいわけですか。 理由はともかくそうなんです。でも、最初は独身女性を海外に宣教師として派遣するなんてことは彼らにしてもとても考えられないことだったようです。ー危険だからですか? 恐らくそうでしょうね。彼らにとってはあんな未開な地に女性が一人で出かけていくというのはとっても危険なことで考えられないことだったのでしょう。それが日本の明治維新の頃から独身の女性が海外に伝道活動に行くという道が開かれます。面白いことに一旦この道が開かれると、この動きは急速に盛んになって、ある意味ではこの時期から海外伝道の一種の花形のような存在になったようにも見えます。 日本の場合で言いますと、女性宣教師の活躍が例えば関西では神戸女学院大学を作っていきます。そういうところでとても目立った活動になります。女性宣教師の場合、もともと女性の適格性もあると思うのですが、地道に現地の子どもたちを導いていく、地道に毎日こつこつと教育するという根気強さ、粘り強さというところで大きな力を発揮します。彼女たちの多くは簡単にオルガンが弾けて、簡単に讃美歌が歌えるということが多々ありました。この女性たちが現地の子どもたちを中心に讃美歌を丁寧に教えていきました。これによって讃美歌が広く普及し、浸透していったのです。

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