日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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52全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」。マタイ二四・十四です。 終わりの日というのは、主が天から帰ってくる日です。有名な讃美歌が歌っている「主は来ませり」です。この日は、ペテロの手紙第二(三・十二)によれば「天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう」のだそうです。海外伝道を聖書から定義すれば、終わりの日を招来するための空間的にも時間的にも壮大な行動計画、ということになるでしょう。ーとてつもない計画ですね。 共産主義もそうですが、人間は観念だけでとんでもない行動が出来る動物ではないでしょうか。宣教師の行動を支えていた使命感についてパール・バックはこう書いています。「地獄の火は燃えている。信ぜざる悪人を焼くばかりでなく、更に恐るべきは、信仰を知らずして死ぬものをも焼くのである。世界の各地にいたり、信仰を知らざる者を救うために、声高く叫び、警告するのは既に救われたる霊魂として、なさねばならぬ焦眉の急務であった」。ーでも実に勝手な論理ですね。キリスト教の信者でなければ(仏教徒だったら)、地獄の炎で焼かれるわけですね。 確かに。でも論理の是非はともかくパール・バックによれば「初期の宣教師たちは、何ものをも信ずることを知らぬ現代の人間に解し得ぬ信仰を持っていた」と言いますから、「既に救われたる霊魂」、つまり宣教師は、キリスト教を知らない無知な人々スペインとの国境に近い南フランスミディ・ピレネ地方のコンクにあるサント・フォア聖堂。その正面入り口を飾るティンパヌムに浮き彫りされた「最後の審判」。左に天国が、右に地獄が描かれている

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