日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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53が知らないままに地獄の炎で焼かれることから救い出すことが「焦眉の急務」だったのです。そして改宗した人たちは、地獄から救われたことへの喜びからか、あるいは二度と地獄に落ちないためにそれこそ声を張りあげて讃美歌を歌ったでしょうね。§15 讃美歌は簡単に受け入れられたのかーアンドリュウのように志願してきた若者を海外伝道団が宣教師として海外に派遣した。彼らは地獄に落ちる魂を救うために昼夜たがわず働いた。その結果、讃美歌が広く普及することになった。ということでしたが、讃美歌が普及する以前には現地にはまた別の音楽というか歌は当然ありましたよね。 もちろんそうです。宣教師側から見れば土着の音楽、今日の言葉で言えば伝統音楽とか民族音楽という言葉で呼ばれている音楽ですね。ー改宗するということもそうでしょうが、古くからある自分たちの音楽を讃美歌と簡単に交換してしまったのですか。 そこら辺りが重要なことですね。結論から言いますと、どうも簡単に交換したみたいですね。日本の場合でもわずか百年ばかり、二世代くらいで簡単に音楽がすっかり西洋化してしまっていますね。ーそのお陰で今私たちは讃美歌を聞いても少しも違和感を覚えませんが、百年前

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