日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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55私たちが子供の頃は、学校の歌の伴奏の主役はピアノではなくオルガンでした。今でこそオーディオ機器が発達していますので、オルガンの音に驚くことはありませんし、とりたてて魅力だと感じないかもしれませんが、百年以上も前ですと、あの小さな箱からああいった音色と音量が出るというのは、日本人も含めて、現地の人たちには新鮮な驚きだったし、魅了されたわけです。ある日本人なんかは、まるで俗界の塵芥から離れて桃源郷に迷い込んだ心地がした、という感想を残しています。 面白いことはですね、宣教師はよく必需品の一つとしてオルガンを任地に携帯します。ピアノだと無理ですけど、オルガンですとちょっと大きなトランクくらいで、運べるんですね。そして任地でオルガンを鳴らして讃美歌を教えます。その魅力によって現地の人たちが讃美歌を覚えていきます。日本でも明治十年代後半から特に女子ミッションスクールの生徒数が急増しますが、オルガンの魅力に大きな原因があったことが分かっています。ー今オルガンの魅力を強調されました。その魅力もあって彼らにとって新しい歌である讃美歌が普及したというお話でしたが、それによって彼らの古い歌は捨てられたのですか。廃仏毀釈のように。 その質問にちょうど良い例があります。先日サモアという所に行ってきました。南太平洋に浮かぶサモアは西と東では別々の国で、西サモアは独立国ですが、東はアメリカン・サモアといってアメリカ領です。私が行ったのはアメリカン・サモアの折りたたみ式リード・オルガン同志社女子大学史料室所蔵

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