日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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65サモアの例ですと新しい教会音楽を自分たちで、つまりサモアの作曲家が新しい讃美歌、宗教音楽をどんどん作曲している、それをみんなで教会で歌う、そういうことが今、盛んに行われています。 だから、ヨーロッパからきた讃美歌もそのまま歌われているんですが、それに対して今、どんどん新しい讃美歌が加わっている。自分たちが作った讃美歌が加わっている、そういう意味では土着化がずいぶん進んでいる状況だと思います。 しかし、それはあくまでも、讃美歌にとどまっている。宗教音楽にとどまっているということで、広く、宗教音楽を離れて国民一般が歌う歌にはなっていないと言うことですね。それでも二十世紀後半から二十一世紀にかけて、ようやく讃美歌の音楽の土着化が行われていることではないでしょうか。日本の唱歌が生まれた時期というのが一八八〇年代ですから、十九世紀後半ですよね、その十九世紀の後半という時点ではやくも讃美歌を作り替えて、その影響を脱して、新たに唱歌といったものを作り出した、そういう過程を経ていったというのは日本しかないんですよ。 そういう意味では、これはアジア太平洋全体から見た場合に唱歌が誕生したというのは非常に特異な珍しい例だというふうに思います。ーなるほど。じゃあ先生はやっぱり他所では生まれなかった歌が日本では唱歌という形で生まれたということなので、一つの奇跡のようなものであると考えておられるわけですね。

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