日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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66 そういうふうに考えています。それでこのことを別の面から見てみます。なぜ日本にだけ唱歌が生まれたか、という逆の面から見てみます。その場合、教育権といったものがクローズアップされます。教育権というのはある地域、ある民族、ある国民を教育する権利を誰が持っていたか、ということです。普通ですと、日本だと日本政府が持っていると考えますし、それが当たり前だと思っています。しかし案外当たり前でない状況があります。例えば植民地の場合ですと、教育権は植民地を支配する国が持ちます。戦前に日本が韓国の教育権を持っていたようにです。今の場合、どういう枠組みが問題になるかと言いますと、ミッションが教育権を持つのか、それともミッションが活動している地域、民族、国が教育権を持つのか、そういう問題です。 日本の場合で考えますと、近代教育は明治以降にはじまったのですが、日本の近代教育にミッションの影響が色濃く残っていることは、さっきお話ししましたようにミッションスクールがたくさんあることによくあらわれています。日本ですらミッションの影響を強く受けていますから、まして太平洋の小さな島々ですと、もっと強烈に影響を受けたと思います。 そこでハワイの場合を考えてみますと、ハワイは日本よりずっと早くからキリスト教伝道が開始されました。一八二〇年からハワイ伝道がはじまりました。讃美歌のことに触れますと、伝道開始から三年後にはハワイ語の讃美歌集が印刷されています。そのようにハワイでは急速に讃美歌が普及しました。宣教師たちはハワイに

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