日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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71一八六八年のことです。その政府を動かしていた人たちの頭の中には意外と早くから音楽の問題もあったようです。断片的な資料しかないので詳しいことは分かりませんが、彼らの頭の中には確かに音楽の問題があったようです。近代国家を作り上げるには、法律とか行政制度とか教育制度とかいろんなものが必要ですが、音楽もその一つです。新しい近代国家として日本が生まれ変わった時、その日本に相応しい音楽を何にするかという問題が表面に出てきます。こうした問題に詳しい塚原康子氏によると江藤新平なんかがそれについて書き残しています。明治政府の方針としてはどうやら雅楽、宮廷に伝わる雅楽を刷新して明治国家に相応しい音楽にしようという政策だったようです。唱歌もこの政策の中に位置づけられて、雅楽を使って唱歌を作ろうというのが日本の政府筋の方針でした。具体的には明治十年『神教歌譜』のはしがきに見える反キリスト教思想 国立国会図書館所蔵やそのちまたに、踏みなづさふうれたみ(慷慨)もなからましと(揶蘇の巷を歩くのに難渋する腹立たしさもないように)/Hermann Gottschewski 「権田直助編述『神教歌譜』について」『平成16〜18年度科学研究費補助金研究成果報告書 反キリスト教と新伝統としての国楽の創出過程に関する総合的研究』平成19年参照             

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