日本の唱歌と太平洋の賛美歌(安田 寛 著) -奈良教育大学 出版会-
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73れているという状況がしばらく続きます。このことはこの後、日本が海外に植民地を持つようになった時、そこに唱歌を普及させることに有利に働きます。なぜなら、日本が植民地にした地域にはその前からすでに讃美歌が普及していましたから、もしも唱歌が讃美歌の一変種一亜種でなかったなら、讃美歌に変わって普及させることがずっと困難になったと思われるからです。§19 アジア太平洋で唱歌が果たした役割ー先生、そうなりますとこのように考えればよろしいのでしょうか。讃美歌が入ってきて、この在来の、と言っていいのでしょうか、土着の音楽を潰していった、排除していった、と言うわけですね。今度は韓国の例を聞きますと、讃美歌が行ったのとほぼ同じようなことを日本の唱歌は行ったわけですね。つまり韓国でチャンガが生まれてそれが充分育ちきらないうちに、それを禁止して、そのかわり日本の唱歌を歌わせた、そういう歴史ですよね。 なかなか鋭いですね。おっしゃる通りです。唱歌というのは面白いことに、讃美歌の影響により生まれてきたわけですが、いったん成長すると、今おっしゃったように、今度は讃美歌がやったのと同じことを、アジア太平洋地域で行うことになりました。韓国では特にそのことがはっきりしています。日本がトラック島夏島公学校国語授業(本科一学年)及び同朝会体操出典:高坂喜一編『トラック島寫真帖』(トラック教育支会、1931年)/奈良教育大学学術情報研究センター図書館所蔵

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