身体教育という考え方 -スポーツ文化からのアプローチ-(井上 邦子 著) -奈良教育大学 出版会-
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- 6 - そうして、同じ厳しい自然を生き抜く者同士として、一年一度の機会に相撲をとるのでしょう。相撲は、相手に何としてでも勝とうと躍起になることで勝てるようなものではないはずです。「勝利」にこだわっている時点で、自分の身体は十分に動かず、身体を固くするだけです。それよりも、相手が技を繰り出そうとするその瞬間の「直前」(これが大切です)にそれを素早くかわし、逆に相手を倒すことが必要だといえます。相手が技を掛けてきたのを目で確認してから、それをかわしているようでは、遅すぎます。相手が動き出すその直前を察知する「感性」がものをいいます。 これを言い換えると、相手の身体や心の動きを敏感に察知する「感性」がよいボフの条件になります。すなわち、相手をあたかも「自分のことのように」感じることができる感性です。モンゴルだけではなく相撲のような格闘技とは、身体を介して、他者をあたかも自分のことのように受け入れることに他ならないと筆者は考えます。こうした他者への感性は、モンゴルのような厳しい自然環境で運命を共に暮らしていくために、非常に重要なことなのです。 激しい投げ技が決まる瞬間 この他者への共感が「身体を介した......」ものだということが、実は大切なのです。よくよく考えてみると、人は他者に共感するときには、自分の過去の身体的な体験を呼び覚ますものです。他人の悲しみをひしひしと自分のことのように感じるとき、自分の身体も無意識の内にこわばることはないでしょうか。それは、自分が悲しみを感じたときに身体に起こった体験を、「追体験」しているのです。喜びも同じです。友の喜びを自分のことのように感じることができたとき、思わず笑顔になり、頬が紅潮するでしょう。動悸が激しくなり、ドキドキするかもしれません。自分が喜んだ時の快感を身体が覚えていて、他人のことであっても「自分のことのように」身体が反応しているのです。 すなわち人への共感は、「身体を介して」行われるものなのです2)。そうし

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