身体教育という考え方 -スポーツ文化からのアプローチ-(井上 邦子 著) -奈良教育大学 出版会-
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- 8 - わば、相撲に参加する男性たちの身体そのものを、ありのままに、共同体が「分かち持つ」ということでしょう。人が共同体に本当の意味で受け入れられるということは、「身体ごと」でなければ成立しないことなのかもしれません。人は一人では生きていけないものですから、人は共同体に身体ごと受け入れられ、またそれを互いに受け入れながら、人と共に生きてきました。その媒体となるのがスポーツなのです。儀礼としてのスポーツとは元来そういう意味をもって、人々の暮らしの中に息づいてきました。だからこそ、人類は誕生とともにスポーツを行ってきたのだろうと思います。共に生きるために、一人ひとりを「身体ごと」受け入れ合う、これがもう一つの「人間にとってのスポーツ」の意味だと筆者は考えます。 土俵がないため、激しい攻防が長時間続くこともある 6.おわりに モンゴルの相撲の事例をみてみると、人と共感するために「身体の体験」をし、共同体で「身体ごと」メンバーを受け入れています。すなわち、身体を介して人と繋がりあい、共感し、身体ごと人を受け入れる機会としています。 これが、おそらく人にとってスポーツとは何か?の答えの一つだろうと思います。人はスポーツによって、身体を介して人と繋がりあい、深く共感し、身体ごと仲間を受け入れてきました。人と繋がりあい、深く共感しあうために巧みな動きに磨きをかけたり、身体の能力を競い合ったりもしてきました。仲間を受け入れるために、身体を成熟させ、感度をあげる鍛錬や学びも積み上げてきました。スポーツができる限り平等なルールを作り、それを守ろうとするの

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