人間ジオ宝(河本 大地 著) -奈良教育大学 出版会-
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ており、日本の棚田百選のひとつである「うへ山の棚田」もあります(左の写真)。こうした棚田等で用いられてきた農耕牛の「但馬たじま牛うし」が、1960年頃まではほぼすべての家で1頭ずつ飼われていました。現在の但馬牛は食肉用ですが、ここでは多くの牛飼いさんは繁殖農家。子牛の段階まで育てて競りに出します。牛飼いの数は減っていますが、小代はすごいんです。全国の黒毛和牛のほとんどすべてにその血の入っている「田尻」号という名牛を育むなどした、和牛のルーツとも言える地域なのです。これについては後述します。 小代の人々は、どのようにして生計を立ててきたのでしょうか。下の図は、国勢調査に示された美方町時代の産業大分類別就業者数の推移です。1960年代までは米作や畜産といった農業が中心でした。しかし小代では冬は豪雪で田畑を耕すのが困難でした。そこで冬には働き盛りの男性の多くが、兵庫県南部や奈良県、愛知県等でお酒を造る杜氏とうじなどの出稼ぎをしていました。現在は、近隣に通勤したり、スキー場で冬だけ働いたりといった形に代わってきています。主な収入源はサービス業・建設業・製造業などに移りました。とはいえ多くの方々が、昔も今も複数の収入源を組み合わせて生活しています。 しかし、過疎化・高齢化は顕著です。香美町が2010年の地区別年齢5歳階級別人口をもとに推計したデータによると、2015年の小代の人口は1,957人で、65歳以上の割合を示す高齢化率は44.8%。香美町全体では人口18,252人、高齢化率36.1%です。 小代は大きな観光地ではありませんが、スキー場(おじろスキー場・ミカタ

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