人間ジオ宝(河本 大地 著) -奈良教育大学 出版会-
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スノーパーク)のほか、温泉「おじろん」、滝や渓谷、キャンプ場・コテージ村などに多くの来訪者があります。また、美方町時代に姉妹都市縁組が結ばれた尼崎市の施設である美方高原自然の家「とちのき村」にも、小学生や親子連れが多く訪れています。但馬牛以外の特産品として、温泉水を活用したスッポン・チョウザメの養殖がおこなわれています。また、棚田米や、小代が原産地の在来種である美方わさびや美方大納言小豆、シカ肉やイノシシ肉などのジビエ、各種山菜、渓流の川魚なども挙げられます。 4.田渕たぶち徳とく左ざ衛門えもんさんと熱田あつた ではここで、小代の「人間ジオ宝」の中からおひとりを紹介しましょう。その名は田渕徳左衛門さん。1929年に小代の熱田という集落にお生まれになりました。今、ここは人の住んでいない集落(無住集落、廃村とも呼ばれます)になっています。 熱田は、小代の中心部から直線距離で7.5kmの源流部に位置する緩斜面にあります。12世紀の終わり頃、名古屋の熱田神宮の大宮司の次男が事情により逃げてきて、ここを開拓し住み始めました。したがってここには今も熱田神宮の流れをくむ熱田神社があります。熱田の人々は、家の周りで自給自足の暮らしをするため、ずっと9軒くらいの数を保ってきました。学校からあまりに遠かったので、家庭教育所を住民の手で開設し、後にそれは小学校の分校として認められました。校舎(次のページの写真。2011年5月撮影)は、資材を下から運ぶことが難しかったので、徳左衞門さんら住民の手で立派な木を伐って提供されたものでした。渓谷に沿って自動車の通れる道路の整備が始まったのは1949年。村の人みんなで苦労して建設していったそうです。それまでは、山の上を歩く道がメインルート。渓谷沿いに小代の中心部へと向かう道は、県道だったとはいえ、1人が歩けるだけの幅の箇所がた

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