人間ジオ宝(河本 大地 著) -奈良教育大学 出版会-
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た有志が、熱田の人々への感謝の気持ちから熱田神社の鳥居を造り替えました。 ほかにも、熱田や但馬牛に興味を持った人を案内したり、熱田の暮らしの語り部になったり、道を守るべく行政に働きかけたり、自分たちの手で道や建物を直したり…。たくさんの人が、徳左衛門さんを通じて熱田に触れてきました。 上の写真は、熱田の田渕徳左衛門さん旧宅。2009年5月に撮影したものです。 5.但馬たじま牛うしの農家さんの暮らし 99.9%。なんだかすごい数字でしょう。 小代は「和牛のふるさと」。全国の黒毛和牛の99.9%以上に、小代で生まれ育った但馬牛の血が流れています。この数字は、2012年に小代観光協会が美方郡和牛育種組合を通じて社団法人全国和牛登録協会に「田尻たじり」号という牛の血統に関する調査を依頼し、明らかになりました。「田尻」号は、小代の貫ぬき田だ集落の田尻たじり松まつ蔵ぞうさん(写真は香美町小代観光協会所蔵)が育んだ牛で、1939年から1958年まで生き、優れた種雄牛として全国の和牛改良の礎を築きました。それに先立つ江戸時代末期には、小代の猪之谷いのたに集落の前田まえだ周しゅう助すけさんが、少しでも小代の谷の人々の暮らしをよくしようと、但馬牛の優れた特徴を受け継いでいくための基礎となる「周助蔓」を形づくりました。蔓つるというのは、似通った形質をもつ優れた血統の雌牛の集団です。小代周辺は地形が険しく、牛を連れての山越えは難しかったので、谷ごとに質の高い蔓が育まれました。明治初期に起きた但馬牛の絶滅危機を救ったのも小代の牛です。当時、黒毛和牛を大型化するために政策的に欧米の

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