知っているってどんなこと?-高校倫理と現象学-(梶尾 悠史 著) -奈良教育大学 出版会-
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いかなる対象であれ、人間はそれを直接的に見ることができます。ただし、射映構造に由来する超越(経験を超えている)という与えられ方において見るのです。人間は経験を超えるものを知覚できる。このことを示すことによって、フッサールは真に物心二元論を克服したのです。ところが、①より②が帰結してしまうのです。どういうことでしょうか。 私たちは自分の目に見えるいくつかの現れを統合して、対象を認識します。けれども先ほど言ったように、たった一つの対象でも無限の現れをもつ一方、人間が実際に確かめられるのは、それらのうちのごく一部でしかありません。仮に、赤色と丸い形態の現れをもとに、「そこにリンゴがある」と思うとします。しかし、それを手にとって割ってみたら、リンゴとは似ても似つかない果肉が露わになるかもしれません。対象がもつ全ての現れを一挙に見通すことができないかぎり、人間は、その種の裏切りの危険に絶えずさらされています。言い換えれば、人間は真理のうちに安らうことが決してできないのです。この事実は、究極において対象について真なる知識を得ることなど不可能である、ということを意味するように思われます。 このことは知識を追求する人間にとって必ずしも悲観的な状況ではない、とフッサールは考えます。彼の考え方は、K. ポパーの「反証主義」という立場に近いでしょう。それによれば、ある仮説が真理であることを有限の観察によ☝人に注目 ポパー(1902‐1994) オーストリアの哲学者。科学的な命題とそうでない命題を区別する基準として、反証可能性を提案し、反証に開かれていることが、より真理に近づく条件であると主張する。ポパーのこの立場は批判的合理主義とよばれる。主著『科学的発見の理論』。(『高等学校 現代倫理』清水書院、2014年、169‐170頁参照) ☝人に注目 ジェームズ(1842‐1910) アメリカ合衆国の哲学者・心理学者。ニューヨークに生まれ、少年時代は画家をめざしたが、やがて大学で化学・医学・心理学を学び、ハーヴァード大学で哲学・心理学を教えた。若い学者たちのグループ「形而上学クラブ」のメンバーになり、実生活と結びついた新しい思想を探究し、プラグマティズムを普及させた。主著『プラグマティズム』『宗教経験の諸相』。(『現代の倫理』山川出版社、2013年、151頁)

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