知っているってどんなこと?-高校倫理と現象学-(梶尾 悠史 著) -奈良教育大学 出版会-
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って検証することはできません。むしろ仮説は、反証テストにパスしている限りで真理に近いとみなされるのです。この伝でいけば、たとえ一面的な現れを根拠にして真なる知識を得ることができないとしても、何かについての経験を(裏切りにあうことなく)継続している限り、その何かについて真理に近づきつつあると言えるのです。したがって真理は、反証や誤謬を無限にクリアした経験の位相において、ちょうど地平線の彼方に見える太陽のように、普遍的理念として捉えられるのです。 このような真理は、私たちの科学的・日常的な経験にとって目標としてはたらいてもいます。ここで想起すべきもう一人の哲学者は、W. ジェームズでしょう。たしかに私たちの知は不完全です。しかし、その不完全さを克服しようという意志が、たったいま見た真理という目標へと結実するのです。そしてその目標に導かれて、私たちの知的な生が動き始めるのです。ジェームズは言いました。「真理であるから有用であるとも、有用であるから真理であるとも言える」と。知への愛を本質とする人間にとって(とりわけ知への愛に人生を捧げる科学者にとって)、真理とは、生きていくためになくてはならないもの、紛れもなく生にとって有用なものなのです。 [ 参考文献 ] 【フッサールの著作】 ・立松弘孝訳『現象学の理念』みすず書房、1965年。 ・立松弘孝他訳『論理学研究』(全4巻)みすず書房、1968‐1976年。 ・渡辺二郎訳『イデーン』(全5巻)みすず書房、1979‐2010年。 ・細谷恒夫、木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中央公論 社、1995年。 【解説書】 ・竹田青嗣著『現象学入門』日本放送出版協会、1989年。 ・谷徹著『これが現象学だ』講談社、2002年。 ・斎藤慶典著『フッサール 起源への哲学』講談社、2002年。

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