知っているってどんなこと?-高校倫理と現象学-(梶尾 悠史 著) -奈良教育大学 出版会-
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これで話は終わりそうです。が、さらに次のような疑問を抱かないとも限りません。(俺は目に見える樹木が本当にあると思っているけど、それは本当に本当、、か? そのことを俺は本当に知って、、、いるのか?) これは、少なくとも意味のある問いではあります。とはいえ、一体このようなことを真面目に問う人がいるでしょうか。また、真剣に議論するだけの価値が、果たしてこんな問いにあるのでしょうか。実際には、哲学者と呼ばれる人々の多くがこの種の問いを第一級の重大問題とみなし、その解決に心血を注いできました。その結果、「認識論」と呼ばれる学問分野が誕生したのです。そして何を隠そう私の研究テーマも、おもにこの分野に深く根ざしています。 認識論の(つまり私の)研究課題を端的に表現すれば「知識の成立条件の解明」です。つまり、単なる思い込みと本物の知識の違いはどこに求められ、私たちが真の知識主体となるための条件とは何であるか、ということが、この分野において議論の争点となります。ちなみに認識論の歴史は古く、遡れば古代ギリシアのプラトン(前427‐前347)の著作『テアイテトス』や『メノン』において既に、この問題をめぐる驚くほど緻密な議論がなされています。 2. 認識論としてのフッサール現象学 とはいえ、問題の重要性が読者のみなさんに十分伝わったとは到底思えません。そのわけは、問われている対象があまりにもトリビアルであるということにあります。たとえば「ヒッグス粒子についての知識」や「ヒトゲノムについての知識」であれば、人々の興味関心を呼び起こしもするでしょう。というのも、現在、ヒッグス粒子やヒトゲノムが人類にとって謎に満ちた存在として現れているからです。それに引き替え、私が論文でよく引く例といえば、樹木や☝人に注目 フッサール(1859‐1938) チェコ出身で、ドイツで活躍したユダヤ系哲学者。数学の研究から出発し、あらゆる学問を基礎づけるために哲学へと転身。教え子のハイデッガーがナチス支持を鮮明にすると、絶縁状を送った。主著『イデーン』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』。(『高等学校 現代倫理』清水書院、2014年、162頁)

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