身近なものからイメージを広げる絵画制作(狩野 宏明 著) -奈良教育大学 出版会-
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づけることとなりました。 宮沢賢治の『鹿しし踊おどりのはじまり』は、要約すると以下のような物語です。 一人の農民が温泉に出かけますが、山の中に手ぬぐいを置き忘れた ことに気付き引き返します。すると、山の鹿たちが手ぬぐいを取り囲 んでいるところに出会います。農民が陰から見ていると、鹿たちは今 まで見たこともない手ぬぐいを廻って恐る恐る議論していますが、最 後には自分たちに危害を加えるものではないことを認識し、歌を歌い ながら踊りだします。農民はその様子に心を奪われ飛び出してしまい、 鹿たちは驚き逃げてしまいます。農民は手ぬぐいを拾って再び山の中 を歩いていきます。 このように、宮沢賢治の物語の中では、自然の中で暮らす鹿たちが、手ぬぐいという人工物を恐る恐る受け入れていく様子が描かれています。このような自然(鹿)と人工物(手ぬぐい)の関係に対して、奈良の鹿は、先述した通り、人や人工物や都市環境にすでに慣れており、もはやそれらにあからさまに驚くことはありません。鹿たちと共に暮らす奈良の地で、宮沢賢治の物語を読んだ経験から、鹿に象徴される自然と人工物の関係が、自身の絵画作品の重要な主題として浮かび上がってきました。 筆者作品≪鹿しし踊おどりのはじまり≫では、奈良をはじめ様々な場所で取材した人工物を組み合わせ、自然が全くない世界を描きました。それらの人工物は、廃墟や廃材、古びた置物や機械を選択することで、人間が作り上げてきた都市環境の長い歴史と記憶が感じられるように意図しています。そして画面中央には、この絵の中で唯一の植物が浮かんでいます。鹿たちはその奇妙な植物を取り囲んでぐるぐると廻っています。 つまり筆者の作品においては、宮沢賢治の物語に登場する自然と人工の関係が、全く逆転しているのです。宮沢賢治の作中で、山の鹿が手ぬぐいを恐る恐る取り囲んでいたのとは反対に、都市環境に慣れた奈良の鹿は、もしかしたら将来、自然の植物を発見して驚いてしまうかもしれないというイメージが、筆者の中に想像されました。おそらく画中に描かれた鹿は、植物を恐る恐る検証

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