江戸時代の古文書の魅力-暮らしを探る-(山形 隆司 著) -奈良教育大学 出版会-
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2.江戸時代の婚姻手続きここで紹介する古文書は、天明8年(1788)に作成されたもので、瓶原みかのはら郷の岡崎村の庄屋・年寄(村役人)から高田村の村役人へ出されたものです。瓶原郷は、岡崎村近辺の9カ村を指す総称です。ここは、奈良時代に恭仁宮が置かれていた場所です。この文書が作成された江戸時代には、全国に約6万以上の村があり、それぞれが幕府や藩などの支配の末端に位置付けられていました。岡崎村は禁裏御領(皇室領)、高田村は津藩領でした。岡崎村も高田村も京都府木津川市の市域にあたります(『加茂町史』第2巻近世編〔加茂町、1991年〕参照)。この文書は、文中に「当村吉兵衛妻ニ申請もうしうけ」とあるように、岡崎村の「吉兵衛」が高田村の「きん」を妻に娶めとった際に、作成されたものです。現在でも、結婚すると役所で新しく戸籍を作ったり、住民票を移したりする手続きをしますが、江戸時代にも同様の手続きが行われました。ただ、現在と大きく違うのは、個人の身元保証に寺院が深くかかわっていたことです。皆さんは、学校で江戸時代にはキリスト教が禁止されていたと習ったと思います。これを徹底するために幕府や藩は「宗門改め」を行い、住民がキリスト教徒でないことを地元の寺院に証明させたのです。これは住民側からすると、キリスト教徒でないことを証明してくれる寺院が必要となる事態が生じたと言えます。こうして、江戸時代にはすべての住民が身元を保証してくれる「檀那寺だんなでら」を持ち、住民は「檀家だんか」として檀那寺を社会的・経済的に支える義務を負いました。また檀那寺の主導のもとで、葬儀をはじめとする仏教行事が営まれ、住民の日常生活の中に浸透しました。このような経緯で、宗門改めに際し作成された「宗門人別改帳」には、村や町の住民すべての名前が書き記されました。そして、そこに地元の寺院が、自分の檀家がキリスト教徒ではないことを証明するために判子を押しました。江戸時代も中期になると、キリスト教徒の摘発はほとんど無くなりますが、「宗門人別改帳」は多くの地域で毎年作成され、現在の戸籍に近い役割を果たすようになったのです。再び、古文書を見ますと、高田村から岡崎村へ嫁に来た「きん」について、「宗旨は真言宗、其村高田寺旦那」、つまり高田村にある真言宗の高田寺の檀

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