江戸時代の古文書の魅力-暮らしを探る-(山形 隆司 著) -奈良教育大学 出版会-
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家であることが記されています。その後の文章の「当村江参り候上ハ吉兵衛同宗門長福寺檀那ニ仕」とあるのは、「きん」は当村つまり岡崎村へ嫁入りに来たので、吉兵衛と同じく長福寺(浄土宗)の檀家になるという意味です。「きん」の檀那寺は、結婚により高田寺から長福寺へと変化したのです。江戸時代においても、「半檀家はんだんか」といって結婚後も元の檀那寺をそのまま継続する例も見られますが、多くの場合は結婚と同時に嫁ぎ先の檀那寺の檀家となるのが通例でした。また同時に、村ごとに作成される宗門人別改帳の記載も修正する必要があります。すなわち岡崎村の宗門人別改帳に「きん」の名前を加え、逆に高田村の宗門人別改帳から「きん」の名前を削除する必要が生じます。文中で「当村(岡崎村)宗旨帳面ニ請込うけこみ申候間、其村(高田村)帳面御払おはらい可被成候」とあるのが、これにあたります。「宗旨帳面」とあるのは、「宗門人別改帳」のことで、「請込」は加筆、「御払」は削除を表しています。以上のように江戸時代には、寺院は宗教施設であるとともに行政の一端を担っていたと言えるのです。このように、住民の身元保証を寺院が行う仕組みは「寺請制度」と呼ばれており、人々の信仰心の形骸化を招いた側面や僧侶の世俗化を招いた側面とともに、これによって仏教がより広い階層に生活に根差した形で浸透した側面も指摘されています。3.現代社会とのつながり今日、日本における寺院数は約7万6千ヵ寺あると言われます(『宗教関連統計に関する資料集』〔文化庁文化部宗務課、2015年〕)。これは、コンビニエンスストアの約5万5千店を上回るものです(「JFAコンビニエンスストア統計調査月報」〔日本フランチャイズチェーン協会、2017年2月〕)。この原因は、寺請制度が導入された江戸時代の初期に、新たに寺院が創建され、村や町のお堂や道場であったものが寺院に格上げした結果、大幅に寺院が増加したためであると言われます。また、明治政府により寺請制度は廃止されましたが、30年位前まではお葬式に際して、檀那寺のお坊さんを招いて自宅で葬儀を営む姿が普通に見られました。今日では、お葬式は地域にある葬儀会館などで営まれることも多くな

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