「大いなるメリットのための“小さな”犠牲問題」とは?-社会学的研究の一視点-(渡邉 伸一 著) -奈良教育大学 出版会-
10/12

9 している」とは、実に“奈良らしい”環境問題といえましょう。これら各種の鹿害問題については、長年にわたって適切な対策がとられなかったのですが、近年、ようやく奈良県がリーダーシップをとり、対策を進めてきています。私も県の対策委員会の末席に名を連ね、今まで研究してきたことを少しでも役立てるべく努力しているところです。6.おわりに-社会学の存在意義冒頭で挙げた「自動車事故」や「組み体操事故」などの問題は、ほとんどの人が知っている問題でしょう。しかし、「カドミウム腎症」や「奈良のシカ」による問題は、今回初めて知ったという人も多いのではないでしょうか。社会学者は、一部の人には実に深刻な事態なのに、多くの人には未だ明確に認知されていない問題を研究し、情報発信することを重要な仕事と考えています。関連して、社会学は一般常識を疑ってかかることを重んじ、それをレゾンデートル(存在証明)の一つにしています。多くの人が常識だと思っているからといって、それが常に「正しい」とは限りません。『倫理』の教科書でもお馴染みのカール・マルクスは「いつの時代でも支配的な思想は支配階級の思想だ」と言いました。一般常識や“当たり前”なこととは、政治的・経済的に力のある者が意図的につくり出した考えかもしれず、そのことに自覚的であれ、という意味です。「原発の安全神話」など、まさにその端的な例でしょう。授業などで「常識を疑え」と言うと、「そんなことばかりしていたら、反論ばかりするひねくれた人間になるから嫌だ」という学生さんがたまにいます。しかし、常識を疑うためには、その常識をよく知っていなければなりません。それはなぜ常識なのか、いつから常識なのか、その根拠は何か、などをです。常識を詳細に知らずして、説得力のある常識批判などできはしないのです。結果として、ひねくれ者どころか、世間の事情に詳しい人になり、社会に出ても重宝されますよ。でも常識を疑う姿勢は、多数派が大いなるメリットを享受して「これでいいのだ」と納得している中に分け入って、「それって少し違うんじゃない、こんな問題もあるよ」と水を差すことにもなるわけで、人を不快な気持ちにさせたり、顰蹙ひんしゅくを買うこともないわけではありません。しかし、そういう視点も大事なのです。大いなるメリットだけに目を奪われていて

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る