「大いなるメリットのための“小さな”犠牲問題」とは?-社会学的研究の一視点-(渡邉 伸一 著) -奈良教育大学 出版会-
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5 ためには、チッソの作る工業製品(化学肥料や塩化ビニール)は欠かせないという判断からです。水俣病は、まさに「大いなるメリットのための“小さな”犠牲問題」の典型例です。これら公害事件がきっかけになり、メチル水銀など各種汚染物質の排出規制がなされたり、安全基準値が作られて、私たちの健康が守られています。私たちは、公害被害者の貴い健康や生命の犠牲の上に、安全な食べ物を食することができているということです。この意味で公害患者と私たちはつながっているのです。もちろんこれは公害に限りません。各種の事故や災害なども全部そうです。事故や災害が起こる度にその原因が調べられ社会がより安全になっていく。しかし、その裏には必ず多くの犠牲者が存在します。「犠牲者が私たちの命や健康を守ってくれている」と言ってもよいのです。ところで、ここで、公害被害者に起こっている理不尽な話を指摘しなければなりません。水俣病、イタイイタイ病の両問題とも、全ての被害者が救済されているわけではないという点です。今度はイタイイタイ病を引き起こしたカドミウム問題を例にとって話しましょう。4.放置されたカドミウム腎症現在の米のカドミウム基準値は、0.4ppm以下です。これは2010年に国が決めた数値です。それまでは、1ppm以下でした。1ppmというのは、イタイイタイ病裁判中の1970年につくられた基準値ですから、40年ぶりの改定でした。カドミウムを摂取すると直ぐにイタイイタイ病になるわけではありません。その前に、腎臓が障害され(カドミウム腎症)、重篤になると骨が柔らかくなってしまい(骨軟化症)、骨折が多発しイタイイタイ病になるのです。0.4ppm以下というのは腎障害にならないための基準値です。カドミウムとは、亜鉛などの鉱石に含まれている金属ですが、日本には各地に亜鉛がとれる鉱山が存在してきましたから、カドミウム汚染地も多数存在します。そのため、農業被害だけでなく、汚染が深刻な地域には腎障害の被害者も少なからず存在しているのです。ですが、日本政府は昔も今もこの腎障害を公害病に指定しようとせず、何もしていません。理由は、「病気ではない」「直ちに日常生活に支障はない」等というものです。

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