なぜドイツでは緑の党が「成功」したのか-「68年世代の党」としての視角から-(西田 慎 著) -奈良教育大学 出版会-
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図268年運動から緑の党への流れ 出典:西田慎「緑の党」西田慎/近藤正基編『現代ドイツ政治―統一後の20年』ミネルヴァ書房、2014年、86頁 このように緑の党は、68年世代の党という性格が強く、それは有力政治家や支持層を見る限り、今でも変わりません。ここではその代表例として、ドイツ南西部バーデン・ヴュルテンベルク州の首相を務める党の有力政治家ヴィンフリート・クレッチュマンの例を見てみましょう。 クレッチュマンは48年に同州のシュパイヒンゲンで生まれました。息子を聖職者にしたい父の意向もあり、カトリックの寄宿制学校に進みます。その後、ギムナジウム(中学と高校に相当)でアビトゥア(大学入学資格)を得て、兵役を済ませた後、大学で生物学と化学を学びました。大学在学中に68年運動の活動家と付き合うようになり、毛沢東主義新左翼セクトの西ドイツ共産主義者同盟(KBW)に入りました。ソ連型社会主義が行き詰まりを見せる中、毛沢東の進める文化大革命が、欧米の若者や知識人の注目を集め、中国型の社会主義に期待を寄せる人も少なくなかった時代です。KBWは、毛沢東主義新左翼として、中国を熱烈に支持するだけでなく、第三世界主義を唱え、アジア・アフリカの民族解放運動を積極的に支援しました。ウガンダのアミンやカンボジアのポル・ポトなど、今日から見れば残虐な独裁政権を支持することもありました。クレッチュマンはそのKBWに2年間所属し、憲法擁護庁の監視対象になったこ

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