なぜドイツでは緑の党が「成功」したのか-「68年世代の党」としての視角から-(西田 慎 著) -奈良教育大学 出版会-
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ともあったといいます。 その後77年に国家試験に合格して、ギムナジウムの教師になり、79年頃には、バーデン・ヴュルテンベルク州の緑の党の結党に参加しました。80年の州議会選挙で、緑の党から立候補して当選して以来、断続的に今日まで州議会議員を務めています。長髪でセーターにジーンズといった他の緑の党議員と違い、短髪でスーツにネクタイ姿という恰好からも分かるように、政治的立場は保守的で、党内では最右派の「エコ・リバタリアン」というグループに所属しました。83年8月に緑の党のヘッセン州議会議員が、アメリカのニカラグア政策に抗議して、米軍人に血を浴びせかけるという事件が起きると、クレッチュマンは一線を越えた行為として、その議員を強く批判しています。 クレッチュマンにとって大きな転機となったのが、2011年3月の州議会選挙です。緑の党議員団長として選挙戦に臨み、党を第2党に躍進させました。そして第3党SPDと連立を組み、ドイツ史上初めて緑の党出身の州首相となったのです。16年3月の州議会選挙では、得票率をさらに増やして緑の党を第1党にし、連立相手を保守のCDUに代えて、州首相再選を果たしています。 このように68年運動から新左翼を経て緑の党へという彼の経歴は、緑の党の有力政治家や支持層では珍しくありません。ラインハルト・ビュティコファー元党首やクリスタ・ザガー元連邦議会緑の党議員団長も、クレッチュマンと同じくKBWの活動家でした。党内左派を率いてきたトリッティン元環境相やアンゲリカ・ベーア元党首は、KBに属していたことがあります。日本でもよく知られたフィッシャー元外相やダニエル・コーン=ベンディト欧州議会議員は、「シュポンティス」という、日本で言えばノンセクト・ラディカルの活動家でした。緑の党が、68年世代の党という性格を持つことは、もう少し日本でも知られていいと思います。 おわりに―日本への示唆 「日本にはなぜ緑の党がないのか?」と、よく聞かれます。正確に言えば、ないわけではありません。これまでにも「日本みどりの党」「日本み

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