なぜドイツでは緑の党が「成功」したのか-「68年世代の党」としての視角から-(西田 慎 著) -奈良教育大学 出版会-
3/13

で第4党にとどまりました。 しかもメルケル首相の与党CDUは、移民排斥を掲げるAfDよりも、移民に寛大な緑の党に多くの票を奪われているという調査結果もあります。例えば世論調査機関インフラテストの分析によると、ヘッセン州議会選挙では、CDUはAfDには差し引き9万6000票を奪われているのに対し、緑の党にはそれを上回る差し引き10万票以上が流れています。主にキリスト教に基づく道徳心から難民には救いの手を差し伸べるべきと考える層などが、CDUから緑の党へ投票先を変えたとされます。 このようにドイツではAfDに代表される右傾化の流れだけでなく、緑の党に代表されるリベラル化の流れも強いこと、むしろ各種選挙や世論調査の結果で示されるように、後者の流れの方がしばしば凌駕していることにも注意を向ける必要があるでしょう。 1.緑の党の成立と展開 それでは、近年躍進している緑の党とはどんな政党なのでしょうか。通常「緑の党」と表記されるドイツの政党は、ドイツ語ではDie Grünenであり、正確に訳すと「緑の人々」といったところです。1980年1月に反原発運動などの「新しい社会運動」を母体に、右はエコロジー保守派から、左は新左翼まで、幅広いスペクトルムを結集して結党されました。当時の基本綱領では「エコロジー的」「社会的」「底辺民主主義的」「非暴力的」を党の4大基本理念としています。自らを「反政党的政党」と位置付け、既成政党に挑戦する姿勢でも話題を呼びました。例えば83年の連邦議会選挙(日本の衆議院選挙に当たります)で初めて議席を獲得すると、議員がセーターにジーンズという平服姿で登院し、世間を驚かせました。党内組織も、底辺民主主義を重視する立場から、「ローテーション制」「議員職と党の役員職の兼任禁止」「党複数代表制」「クオータ制」など実にユニークでした。例えばローテーション制とは、党の議員はすべて当選後2年で議員を辞職し、後任と交代する制度です。長く議員を務めると、どうしても職業政治家となって世間と遊離してしまいます。それを防ぐために作られた制度でした。

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る