なぜドイツでは緑の党が「成功」したのか-「68年世代の党」としての視角から-(西田 慎 著) -奈良教育大学 出版会-
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ロスを減らすために、売れ残った食品は捨てずに、無料で使えるようにすることをスーパーに義務付けるといったものもあります。 このように緑の党は、政策で見る限り80年の結党以来、大きく変わりました。外交・安全保障政策では、非暴力原則の下、「社会的防衛」を要求し、西ドイツ連邦軍やNATO解体を要求していたのが、最新の連邦綱領では、ドイツ連邦軍の海外派遣容認にまで至りました。エネルギー政策では、当初原発の即時停止を訴えていましたが、11年にメルケル保守中道政権が22年までの段階的脱原発を法制化した際には、賛成票を投じています。底辺民主主義も党の重要な柱ですが、それを実践するはずだった「ローテーション制」は効率性の問題から廃止され、「議員職と党の役員職の兼任禁止」原則は緩和されました。現在では、「党複数代表制」も廃止して、他党のように単独党首制へ移行してはという議論もあります。総じて結党以来の変化には、穏健化・専門化という傾向が感じられます。 こうした変化を指摘して、緑の党は「体制内化してしまった」「党創設の理念を裏切った」と批判する声もあります。しかし前述のようにメルケル保守中道政権の下でドイツの脱原発が決まり、徴兵制の廃止(停止)や同性婚の容認も、保守系のメルケル首相の下で実現しました。緑の党の政策が結党以来大きく変化したことは事実なのですが、一方で保守政党も緑の党の政策を取り入れるなど、大きく変わったのです。やはり緑の党がドイツの社会や政治に与えたインパクトは大きかったと言わざるをえません。 3.「68年世代の党」としての緑の党―クレッチュマンを例に 緑の党は「68年世代の党」とも言われます。1968年前後に、世界で同時多発的に社会の民主化を求める社会運動が発生しました。学生運動やベトナム反戦運動はその代表です。そうした運動を68年運動といい、それを担った世代は68年世代と言われます。 ちなみにアメリカの政治学者ヘルベルト・キッチェルトは緑の党を「左翼リバタリアン政党」と定義しています。すなわち「社会主義の伝統に連なり、連帯や平等を支持し、社会の発展や公正の最終的規範として市場や

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