学校で勉強する内容はいつ、だれが決めたの?~もっと自由に学びたい~(山本 敏久 著) -奈良教育大学 出版会-
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そ今一度、「自由に」の部分について、深くかみしめておきたいと思います。~もっと自由に学びたい~の「自由」についてもそうです。 苫野一徳3)という哲学・教育学者は『「自由」とは難しい言葉ですが、〈中略〉「生きたいように生きられること」』と述べています。そして、『学校教育の最も大事な本質は、すべての子どもたちに、〈自由〉に、つまり「生きたいように生きられる」力を育むことにある』とも述べています。ただ、字義通りにみんなが自分の自由だけを主張し合えば争いが起きますから、他者の自由も認め尊重できること(「自由の相互承認」)の感度を高めることが学校教育の大事な使命だというわけです。 では、みんなが自由に、みんなが幸せに生きるためにはどうすれはよいのでしょうか。答えは一筋縄には見つからないかも知れません。でも、そんなことを追究することが、本当の「学び」なのかも知れません。 少なくとも、教えられたとおり・言われたように行う「勉強」だけではなく、様々なことに自ら問いを立て、異なる考えの人と出会いながら、『主体的・対話的で深い学び』を繰り返すことです。学校は、そういう練習を繰り返し行うために集う場です。また、そういう場として、さらにバージョンアップしていかなければならないと思います。『教室はまちがうところだ』4)という言葉に込められたものは、時代が変わっても変わらないと思っています。 おわりに 最後にもう一つ大事なことを…是非、本稿に記したことにも「?」をもち、自らの「学び」につなげてください。本稿を書くに当たり私がインスパイアされた参考資料・図書を挙げておきます。また、異なる発想が生まれることを期待しています。 いつかどこかで、マスクなしで集い「学び合う」日が来ることを楽しみに。

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