自閉スペクトラム症と記憶:教育への示唆(堀田 千絵 著) -奈良教育大学 出版会-
3/10

思い出した内容はあてにならないな…と思ってしまいます。現在は、事件場面を目撃した人の証言の信ぴょう性といった「法と心理学」という分野にまでこの現象が応用されています。では、自閉スペクトラム症のある人々の記憶の働きはどうなのか。先にも述べましたが、自閉スペクトラム症のある人は、フォルスメモリが生じにくいという結果です。「サクランボ」は覚えても、「桜」は覚えていないと答える傾向にあります。つまり、想起が正確であるということを意味します。そこで私の疑問。記憶の側面からするとこれほど正確なのに、なぜ「障害」なのか?素晴らしいことであるし、その人の長所であるはずなのに…。私の関心は、自閉スペクトラム症傾向のある子どもたちや大人の記憶の働きに移っていくようになります。 それでは2003年から2005年にタイムスリップします。 2.そんなに単純ではなかった:「忘却」からみる生きづらさ その後、大学院を卒業するまで、自分なりの研究手法を確立するために、あるテーマに没頭します。「忘却」です。その具体的関心は、「人は忘れようと思えば忘れられるか?」でした(3)。思い出すときにフォルスメモリが生じることがあると先ほど述べましたが、当然、忘れてしまうこともあり、エラーという点では同様に扱うことができる現象です。冒頭で述べましたが、私たちは「忘れたくない」とも「忘れてしまいたい」とも感じます。そんな矛盾を抱えている生き物です。そして、人の記憶はある場面では、忘れないように、別の場面では忘れてしまえるように、凹凸がうまく機能しています。これらは私たちが適応するための記憶の制御機能になります。この現象を捉えるための研究手法を2年間かけて確立することになりました。当時は、「無駄な実験が多いので、もっと効率よくする方がいいのでは?」と様々な方々から助言をいただいたのですが、頑固な私はうまく適応することができず、どうしたものかと随分悩みました。しかし、この一見無駄な試行錯誤の時間が今の教育にかかわる研究に随分と役立っています。現在進行中。これは大学に入ってから皆さんと一緒に考えたいと思います。 やはり「自閉スペクトラム症の人の忘却の働きはどうだろう?」この関心は変わりませんでした。この頃には、自閉スペクトラム症のある人と直接お話することが多くなっていました。予想以上に、「自分の過去の記憶が辛い、忘れられない。忘れる方法を考えているがうまくいかない」という切実な話をうかがうようになりました。そして、幼少期に経験した傷が影響を与え続けていることもわかりました。教育の影響は想像以上である、そんな印象を持ちました。 そこで、まずは忘却の働きがどうなっているのか、調べなくてはいけないと

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る