教育における「豊かな体験」とは?-教育哲学からのアプローチ-(浅井 健介 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
4/11

のことを「答申」といいます。今から読むこの1996年の答申は、中教審の答申のなかではじめて「生きる力」という言葉を使用したことで知られています(「生きる力」というのはそれまでの知識偏重の学力観に代わる新しい学力観です)。また、「体験的な学習活動」の充実化についての条文を新たに盛り込んだ2001年の学校教育法改正や、問題解決学習や体験学習を重視する「総合的な学習の時間」創設の契機にもなった答申です。その答申の一節を実際に読解することで、私たち自身が前提としている体験についての考えを浮かび上がらせていきたいと思います。 子供たちに[生きる力]をはぐくむためには、自然や社会の現実に触れる実際の体験が必要である〔……〕。子供たちは、具体的な体験や事物とのかかわりをよりどころとして、感動したり、驚いたりしながら、「なぜ、どうして」と考えを深める中で、実際の生活や社会、自然の在り方を学んでいく。そして、そこで得た知識や考え方を基に、実生活の様々な課題に取り組むことを通じて、自らを高め、よりよい生活を創り出していくことができるのである。このように、体験は、子供たちの成長の糧であり、[生きる力]をはぐくむ基盤となっているのである。/しかしながら、〔……〕今日、子供たちは、直接体験が不足しているのが現状であり、子供たちに生活体験や自然体験などの体験活動の機会を豊かにすることは極めて重要な課題となっていると言わなければならない。こうした体験活動は、学校教育においても重視していくことはもちろんであるが、家庭や地域社会での活動を通じてなされることが本来自然の姿であり、かつ効果的である〔……〕。(中央教育審議会 1996、強調は浅井) 下線を引いた部分から確認していきます。まず分かることは、子供たちの学習の基盤ないし出発点になるものとして直接体験が捉えられているということです。私たちは直接体験を通じて実生活や実社会、自然の在り方について知り、そこで様々な疑問や問題意識を抱きます。そしてそれが出発点にあるからこそ、よりよく生きるために学びを役立てようという意欲が湧き、そこで学ぶ知識も実感が伴ったものになるわけです。しかし、その出発点になるはずの直接体験

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る