教育における「豊かな体験」とは?-教育哲学からのアプローチ-(浅井 健介 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
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以下では、アガンベンもこの上の一節を書く際に参照しているドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンの議論を手がかりに、この問題について考えてみましょう。 この問題を考えるうえで参考になるのは、ベンヤミンが立てた「物語」と「情報」という二つの伝達形式の区別です。どちらも自分の身の回りに起きた出来事を他人に伝える伝達形式ですが、「物語」が語った内容を語り手や聞き手の経験に変えていくのに対し、「情報」はそのあとに何も残さない。 このことを説明するために、ベンヤミンは、ヘロドトス(前484-?年)という古代ギリシャの歴史家が残したあるエジプト王の話を例に挙げ、そこには「物語」に必要不可欠な要素が見られると指摘します。世界史選択の方はご存じかもしれませんが、ヘロドトスはのちに「歴史の父」と呼ばれるようになった歴史家で、主にペルシア戦争を題材にして、現地での自らの経験や関係者からの伝聞を『歴史』という書物にまとめました。またそれを聴衆に巧みに語り聞かせた天才的な物語作家であったと言われています。エジプト王の話もこの『歴史』に収録されている話の一つですが、その話とは次のようなものです。―エジプト王プサンメニトスが戦争でペルシアに負けて捕らえられたとき、勝利したペルシア王は、このエジプトの王様に屈辱を与えてやろうと企てます。しかし、勝利したペルシア軍が凱旋行進する道のわきに立たされても、自分の娘が召使いの格好で水汲みをさせられているのを見せつけられても、さらに処刑場への行列の中に自分の息子がいるのを目にしたときも、その光景を見て嘆き悲しむ他のエジプト人たちとは異なり、プサンメニトスだけは言葉なく、身じろぎもせず、じっと視線を地面に落としたまま立っていました。それにもかかわらず、その後、彼の召使いの一人である年老いたみすぼらしい男が捕虜となっているのを見たとき、彼は両の拳こぶしで自分の頭を打ち、最も深い悲しみを表すあらゆる仕草を示したのでした(cf. ベンヤミン 1996、296-297頁)。 ――なぜこのエジプトの王様は自分の愛する家族ではなく、ただの召使いの不幸を見たときに泣いたのでしょうか。日本にはまだ文字すらない遠い昔に書かれたこの短い逸話は、「悲しみ」についての不思議な出来事を含んでいます。この物語を聞いた人々は、まず、「なぜ?」と怪訝けげんに思い、それから何かにつヴァルター・ベンヤミン

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