身近な蝶にも謎がある(小長谷 達郎 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
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身近な蝶にも謎がある 奈良教育大学理科教育講座小長谷 達郎 住宅街の庭から庭へとチョウが飛び、学校のプールにトンボが卵を産みに来る。コンクリートを突き破った植物に花が咲き、街路樹に鳥が巣をつくっている――。たとえ東京や大阪の大都会に住んでいたとしても、気を付ければどこかに生物の息吹を感じられるものです。ところが、こうした身近な生物が時として生物学の最前線に躍り出ることを知っている人は少ないことでしょう。実は地球上に存在するとされる800万種以上の生物のうち、詳しく調べられてきたのはごく一部の種にすぎません。今日の生物学の教科書は限られた生物の研究のうえに成り立っているのです。他方、生物の性質は種ごとに異なり、異なる種や分類群を比較して初めて判明する事実もあります。生物学をつくるのは大腸菌Escherichia coliやハツカネズミMus musculus、キイロショウジョウバエDrosophila melanogasterなどの実験生物だけではありません。身近な生物のもつ性質が従来の生物学への挑戦状になることも少なくないのです。このE-bookでは、そのような事例のひとつとして、チョウの精子に関する研究を紹介します。生殖細胞という多細胞生物の根本的な部分にも多くの謎が残っているのです。 1.動物の精子の多様性 精子は動物のオスにとってもっとも重要な細胞のひとつです。精子なくしてオスは自身の遺伝情報を次世代に伝えられません。高等学校の生物の教科書を開いてみると、頭部と中片があり、1本の鞭毛をもつオタマジャクシ形の精子が描かれています。これは精子のごく一般的な模式図といえるでしょう。そして、多くの人がどの動物の精子も模式図と同様の形をしていると考えているのではないでしょうか。 実際の生物は、教科書で描かれるよりもずっと豊かであり、精子の形態にも著しい多様性が存在します。それは精子の長さを例にとるだけでも明らかです。たとえば、ヒトHomo sapiensの精子がわずか60 µm程度であるのに対し、シ

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