身近な蝶にも謎がある(小長谷 達郎 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
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ョウジョウバエの一種Drosophila bifurcaの精子は実に5.8 cm にも及びます1)。たった3 mm程度のハエのオスがこのように巨大な精子をつくることには驚きを隠せません。長さ以外の形にも多様性があります。頭部が目立たずオタマジャクシ形に見えない精子も多いですし、そもそも精子に鞭毛がない生物も存在します。精子が1本ずつ単独で行動するというイメージすら正しいとは限りません。脊椎動物でも無脊椎動物でも精子が集団を形成して移動する例が報告されているためです2)。1個体のオスが複数型の精子をつくる精子多型という現象も様々な動物で見つかってきました。たとえば、ムカデの仲間にはオスが長さの異なる2種類の精子をつくる種が数多く知られています3)。 現在のところ、このような「変わった」精子のうち、その形態の意義や機能がわかっているのはごく一部にすぎません。生物の形質を研究する強力な武器になるのは、今も昔も生きた生物を観察することです。ところが、動物の個体に比べると精子は脆弱な存在なので、精子を正常な状態で観察するにはかなり注意を払わなければなりません。特に体内受精する種ではメス体内の精子を観察することに多大な困難が伴います。精子の研究は簡単でないのです。それでも、実験や種間比較などの様々なアプローチによって、何とかその機能に迫ろうとする試みがおこなわれてきました。 2.無核精子の謎 鱗翅目とはチョウとガによって構成される昆虫のグループのひとつです。鱗翅目昆虫の特徴のひとつに、オスが有核精子と無核精子という2種類の精子をつくることを挙げられます(図1)。このことは今から1世紀以上前にはすでに明らかになっていたようです。有核精子は卵と受精する通常の精子です。一方の無核精子には核がないため、当然ながら卵と受精する能力をもちません。遺伝情報を運ぶ配偶子としては全く機能していないのです。そのため、無核精子を減数分裂に失敗した出来損ないの精子と考える人もいました。ところが、無核精子の数は極めて多く、チョウ類ではその数が全精子の8~9割に達するのが普通です。そのため、無核精子には何らかの機能があり、出来損ないの精子ではないと考えられるようになりました。日本でも古くから無核精子の研究がなされており、大正時代の論文には「知らず後日何人かこの神秘の鍵を開き得るものぞ」と記されています4)。 図2に一般的な鱗翅目昆虫のメスの内部生殖器の模式図を示しました。無核精子と有核精子は、精包と呼ばれるタンパク質のかたまりに包まれた状態でオスからメスの交尾嚢に送り込まれます。交尾嚢は精子を受け取る器官です。しばらくすると両型の精子が交尾嚢から出て、卵管を経由して最終的な精子貯蔵

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