身近な蝶にも謎がある(小長谷 達郎 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
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れらのオスの精子が混ざり、卵との受精を巡る精子競争が発生します。精子競争の回避は、自身の子が生まれる可能性を高くするため、オスにとって適応的な行動といえます。「詰物仮説」はこの精子競争の回避に無核精子が用いられるという仮説なのです。 1999年にはヨーロッパ産のエゾスジグロシロチョウの近縁種Pieris napiで「詰物仮説」を支持する研究が報告されました6)。一度交尾したメスを実験的に別のオスと同居させたところ、一定期間内に再交尾を受け入れなかったメスは再交尾したメスより多くの無核精子を受精嚢にもつことが示されたのです。この研究が著名な学術誌であるネイチャー誌に掲載されたこともあり、「詰物仮説」は幅広い支持を集め、行動生態学の教科書にも掲載されるようになりました。野生の昆虫を扱う研究者の間では「詰物仮説」が支配的な仮説になっていたのです。 3.単婚制の蝶 私がこの問題に取り組み始めたのは大学院1年目のことでした。私自身は元々チョウ類の冬への適応と繁殖戦略の関係を主な研究テーマにしていました。最初は精子の研究のように細かい作業を必要とする研究はするまいと思っていたのをよく覚えています。ところが、無核精子の機能解明は所属研究室の主要な研究課題のひとつでもあったので、いつの間にか無核精子の問題にも関心をもつようになりました。無核精子という存在の面白さもさることながら、1世紀以上の難問というフレーズも私の心をくすぐりました。 研究対象に選んだのはジャコウアゲハByasa alcinousでした(図3)。ジャ 図3.静止するジャコウアゲハのメス(左)とメスの腹部末端に付着した交尾栓(右).交尾栓は図2で示した交尾孔だけを塞ぐように形成されるため、交尾栓が硬化してもメスは自由に産卵できる.

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